大学生の頃、私も研究室(ゼミ)に所属しておりました。


特に迷うことなく好きな先生のゼミを選択し、依頼された大学院生の先輩のデータ入力やら、調査や学会発表の手伝いやらをして過ごし、だんだん、自分の卒論や修論のためにこもる時間もでてきました。修士では、おせっかいながらも後輩の卒論をみて、教える立場になって焦って、統計手法と論文の書き方を再度学ぶ...。といったような、どちらかというと淡々としたゼミ生活だったように記憶しています。大学で過ごす時間は、長い方だったかと思います。


この頃、90年代から2000年代の初頭、「ゼミ」について同級生や学年や年齢の異なる方々と一緒に考えるということはありませんでした。「ゼミの飲み会の場所をどこにするか?」については一生懸命考えていましたが、少なくとも私の周りでは「ゼミとは何か?」というような「問い」が「問い」として成立することはなかったように思います。



6月13日(木)に、市ヶ谷のSAN BAN CHO CAFEで開催された「カフェゼミ」のテーマは、この、「ゼミとは何かを考える」ものでした。カフェゼミとは、法政大学の長岡研究室主催の通常営業中のカフェで行われる、飲食代1000円を支払うことで参加できるゼミです。 参加したら、「1ドリンク + デザート」を提供してもらうことができます。

あくまでも、大学のゼミをオープンなかたちで行うことを通じて、新たな学びの場の可能性を探索していくことをめざしています。

上記のカフェゼミの主意文(?)にありますように、大学以外でゼミを行うことそれ自体を重視した取組みだと認識しています。


6月13日のカフェゼミの告知文には、以下のような「問い」が記されておりました。

(略)...「インターンシップ」や「プロジェクト型授業(PBL)」などの体験型学習が普及した今日、大学における学習活動の中でどのようにゼミを位置づけるのかは、なかなか難しい問題だと言えます。


おそらく、個々人が思い描くゼミのイメージは、すべてがユニークなはずです。それらを共有し、自分自身のもつイメージを相対化すること。自分がアタリマエだと思っていたゼミの姿が、実はそうではない可能性に気づくこと。それが、一人ひとりにとって相応しい「私とゼミとの関係」をつくりだす第一歩ではないでしょうか。


話題提供をしてくれたスピーカーの方々、また、参加者による「ゼミ」に関するダイアローグ(対話)に傾聴していると、この問いから新たな問いが派生してきたように見えてきました。


お話をうかがうと、ゼミでプロジェクト型の実践を行うことは今や珍しいことではなくなり、活動/実践ベースのコミュニティとして組織立ったゼミ活動が重要視されてきているようにみえました。そして、実践を中心に据えながら、それを学術的なことがらと結びつけていく、実学的と言うべき活動を行う場としてゼミは認識されているようです。結構、いろんな大学で。


カフェゼミの中ででてきた問いをみると、「居心地のよいゼミとは?」や「理想のゼミとは何か?」といった、「居場所としてのゼミを『よく』すること」への関心が高いことに気づきます。活動や学問をする場を整えること、「よく」すること、これは理解可能です。


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photo by mako nakae


ただしその一方で、所属するゼミの価値を高めようとすることは、ともすれば「内向き」になりがちなのではないか、という声もでてきました。長岡先生の言葉を借りれば、「ゼミを良くしようということへの関心は、40年の日本企業の歴史そのもの」だと。自分たちが仕事や活動や学問をする場を整えることにのみ気持ちが向いてしまって、どこかで「自分の所属する組織が最高!」という認識を得ることが目的になっていないか?という投げかけだと理解しました。


仕事や学問や活動をする場を整えること、これは「よいこと」すぎて、なかなか否定できるものではありません。否定する必要すらなさそうにも思えます。ただし、この「否定する必要がなさそうに見えること」をあえて疑ってみることで、見えてくることもあるかもしれません。



カフェゼミは、固定的な結論とともに締めくくられるわけではありません。
参加者は、それぞれが気づいてしまった問いとともに、モヤモヤしたまま過ごすことになります。ほんと、気づかなかった方が良かったのではないかと思うくらい...。


今回のカフェゼミで得た(?)問いにもひっぱられて、7月17日に実施させていただく武蔵野大学島田徳子先生の研究室と合同(越境)ゼミや、9月に実施予定の産業能率大学の橋本諭先生の研究室との合同プロジェクトで「問いたいこと」もでてきました。
これについて、ゼミでは、ちょっとずつ、お話しています。


より思考を熟成させて、臨みたいと思います。詳細は、また後日。


場のご準備くださっている長岡先生はじめ長岡研究室のみなさま、スピーカーのみなさま、本当にありがとうございました。

私、大学時代(90年代)は教育学部で心理学を専攻しておりました。その頃は、実践的な統計学をおさえなければ、心理学で論文を書くことは不可能!という意識で、かなり賢明に勉強していたように思います。

統計解析ソフト「HALBOW」ともずいぶん仲良くなったように思います。

質的研究法の授業が開講されたり、卒論やら修論やら学会やらで質的研究を用いた手法が花盛りになったのは、90年代後半から2000年代にかけてだったように記憶しています。

大学院時代にはじめて質的研究法に触れるた私は「なにか、オシャレでかっこいい研究手法をやっている自分」がいるように「錯覚」し、量的な調査を用いた論文を「わけも分からずとりあえず批判」していたように記憶しています。今思うと、ものすごく恥ずかしい。

質的研究の方が「優れている」のか?「劣っている」のか?であるとか、量的研究と質的研究の組み合わせが「最強」だとか、そのような問いの立て方や認識の仕方がナンセンスで素人っぽいのですがね。本当に、恥ずかしい。

むしろ、研究対象がどのようなものであれ、どんな特徴を持っているかということと、選択される研究手法というものは、不可分ですよね。研究対象や、問いの立て方や、描きたい事柄によって、研究手法というものはその都度選択されていきます。質的なものであれ、量的なものであれ、それだけ使っていれば万能ということは決してない。

さらには、選択された研究手法そのものが、研究で対象とするひと・もの・ことの特徴を示してくれていたりします。同時に、手法も固定的なものではなく、ある特定の研究対象にアプローチしていく過程で編み直され続け、それを通して問いも洗練されていく、そんなふうに、手法と問いは循環するものだと思います。

このような「自分の用いている研究手法やデータのとり方」に対して、徹頭徹尾自覚的になることを問うた本を、先日、ゼミで輪読しました。新曜社のワードマップシリーズの『現代エスノグラフィー:新しいフィールドワークの理論と実践』です。1冊まるまる、12人で分担して。15時からはじめて、20時まで...。レジュメをご担当いただいたみなさま、本当にありがとうございます。非常によい学びの機会でした。

本書の定義によれば、エスノグラフィとは「調査者が研究テーマに関わるフィールドに自ら入って、人々の生活や活動に参加し、観察を行う調査法」のことを指します。

そして冒頭、いきなり「実証主義」的な価値観をぶっ壊してくれます。実証主義的な価値観を極めて粗暴に書けば、どこかにある(はずの)、まだ見ぬ「事実」や「真実」を、科学の手法によって見つけ出すような考え方」であり、これを棄却します。さらには「適切な調査法を訓練によって身につければ、客観的な事実を記録できるようになる」という発想も隅に追いやります。

むしろ、この著書では、

調査者である自分は、何を、どこで、どのような存在として、見たのか。それをなぜ、どのように、書くのか。

という、「記述したこと」を必ず「自分自身へ折り返すこと」、すなわち自己再帰性(self-reflexivity)をとことん徹底します。エスノグラフィを専門にする多様な研究者によって書かれているにもかかわらず、その徹底ぶりは首尾一貫していて見事です。

さらには、
・書き手は何を書きとめ、何を書かないのか?その取捨選択はどのようにしておこるのか?
・西洋の研究者が見慣れぬ地を調査するといったような、調査する側と調査される側の間に必ず横たわる『権力』の非対称性にいかに自覚的になれるか?
・ エスノグラフィの真実とは、複数の「部分的真実」でしかない!
・真空状態や、固定的な立ち位置で調査に臨むことはできない!例えば私の場合は、日本人であり、男性であり、異性愛者であり、大学教員である...という「ポジショナリティ」がある。それと結果としてのエスノグラフィーは不可分であるし、そもそも「研究者」や「よそ者」といったポジション自体も、調査者が自由に操作できるものではない!?

などなど...といった事柄に、いかに自覚的であるべきか、また、こういった事柄に自覚的であることを通して、新たな研究的な知見がいかに萌芽するのか、といった所までえぐるように挑んだ書だなと、感嘆とともに読み耽りました。

研究手法それ自体を自己再帰的に捉えてみることは、非常によい学問的なトレーニングになるのではないでしょうか。これは、エスノグラフィに限らず、他の研究手法でもそうですし、データをとってきた後の分析手法においても同様なんだろうなと思います。

私自身、質的な調査方法を「ベタ」にしか捉えず、その意義を適切に言語化することもなく礼賛していた時期も長かったように思います。それでも、ちょっとずつ勉強を継続していくしかないと割り切りって、エスノグラフィはじめ研究手法がもたらす知的興奮を伝えていければと考えます。

来る7月28日(日)12時〜15時に、都内某所(ステキな会場です!)にて、世界のダンサー近藤良平さんとともに、ラーニングイベントを開催します!より正確には、開催に向けてフル回転で動きはじめております!

現在、会場、関係者との調整まっただ中ですので、詳細のご連絡はもう少し後になります。

男性のみのダンスカンパニー「コンドルズ」主宰の近藤良平さんは、これまで世界20カ国以上で公演を行ってきており、その公演はニューヨークタイムズ紙も絶賛するほどです。最近のお仕事ですと、私は「サラリーマン体操」や「てっぱん体操」に魅力を覚えます。私の母校でもあります、横浜国立大学教育学部(現在、教育人間科学部)のご卒業で、現在も非常勤講師として指導なされています。

到底書ききれないほどの魅力的な軌跡を歩んでこられた近藤良平さん。その実際は、以下のチャーミングなまえがきとともに始まる書籍で探ることができます。

はたと、この本を手にしてしまった貴方は変わり者かもしれません。しかしここまできたら読んでしまいましょう。いいことが訪れるかはまったく保証できませんが、僕にもしも会ったら「本読みました、思いのほか面白かったです」と告げてください。そして人生の話で大いに盛り上がりましょう。

近藤さんとお会いする前に、コンドルズ埼玉公演2013『アポロ』の舞台を観に行きました。

コンドルズ埼玉公演2013『アポロ』
http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2013/d0518.html

公演を目にした結果、...踊りたくなりました。
正確には、踊ることや表現することを通したワークショップや授業などに対する欲求が強くなりました。

この考え方が正しいかどうかはさておき、近藤さんのパフォーマンスを観ることで、自分で何かしたくなる、そのために舞台を観にいった、という循環がおきていたように思います。

7月28日のイベントでは、

踊る

考えない

踊る

捨てる/忘れる

を軸に構成する予定です。
有元先生の言葉を借りますと、「脱主知主義」で、ダンスという文化に身体ごと参加したくなるようなモチベーションそのものを経験する場作りを目的にします。

そして、大事なこと。
「考えないこと。」
「捨てること。」
「忘れること。」

打合せの際、近藤さんから「「何か、他者の成長のためになるようなことをやろう」だとか「参加者が何かを得て、持ち帰ってらもう」という考え方を主催者側が(頑張って)捨て去ると、どうなるだろうね?」という問いをいただきました。

このような問いを投げかけられると、ワークショップや学びのイベントを通して何かを持ち帰ってもらおうとしたり、それらを通して気づきを得てもらうよう仕掛けてきたこと、こういった事柄と、それまでとは異なる視点で対峙することになります。もしかしたら、気づきを促したり、ワークショップが日常の異化に作用するといった認識は、教育者の「エゴ」に過ぎないのかもしれない...そんな自問もでてきます。

これは、今日のワークショップや学びのイベントのデザインに関する批判ではありません。
近藤さんとお話するまで、このようなことは、おそらく考えてきませんでした。
考えてこなかったことを考えると、脳みそがぐわんと揺さぶられます。

何もリフレクションやラップアップをしないでイベントは成立するのか?
はたしてそれは「イベント」に見えるのか?
「何も『持ち帰る』もの・ことがないこと」に対する意味づけを放棄すると、そこに何があるのか?
(意味づけをしないなら、)それを実施することに、何か意味があるのか?

...「考えない」ことの意味を「考えちゃう」と、不安しかありません。

近藤さんには、日々、どんどん「だめになっていく」感覚もあるとのことです。
おそらく、「だめになっていく」「成長しない」感覚とともに外界を捉えてみると、どんな世界が広がるだろうね、という問いに展開したと記憶しています。
「今日も1日、無駄に生きて、成長しなかったな〜!」という視点で外界を捉えてみると、その向こうに何が見えてくるのか。

もちろん、舞台、大学での講義、公演、ワークショップ...などなどと、日々真摯に向き合う近藤さんの発話だからこその「問い」です。
「人は学習し、蓄積し、成長する」という、おそらくあまり私が疑うことのなかった「前提」について考えることを強いられ、...ものすごく苦しんでおります。

7月28日のイベントでは、「踊りたい」というモチベーションを経験し、パフォームし、そして忘れる、そんな「踊って捨てる学習論」を仕掛けたいと思います。「何も身に付かない学習」とでも言いましょうか。
イベントを共催予定の北樹出版の編集担当福田千晶さんは「「だめになる」と「ためになる」は「濁点のあるなし」だけの違い」だということを「発見」されました。
ほんとに、そのくらい紙一重の違いというか、コインの裏表のような「見方の違い」だけなのかもしれませんね。

1-2週間以内に詳細に関する告知ができるよう、内容を詰めていきたいと思います。

小学4年生の頃、クラス内で配布してもらえる「新聞」を作成する活動に取り組んだことを覚えています。6人くらいの班のみんなで協力して、授業の時間ではなく、空いた時間に取り組む課題でした。目標は、1週間に1部以上発行すること。

なぜか新聞を創れることが嬉しくてたまらなくなった私は、班の他のメンバーそっちのけで、1日1部創っていました。できあがりを担任の先生のところにもっていくと、すぐに「輪転機」的なもので印刷してくれて、「帰りの会」でクラス全員に配布してくれます。

協力せよと言われていたのに、昼休みも放課後も、ひたすらひとりで書いては先生のところに持っていく。他のメンバーに相談なしに。はなはだ迷惑(笑)。しかも新聞のタイトルは「船長 Captain」。航海でたことなかったけど。ほんとに、一緒の班のメンバーのみなさま、ごめんなさい。先生、毎日印刷してくださってありがとうございます。

これまで3回、RTP(RealTime newsPaper)と名付けた「新聞」を発行してきました。
もう、ひたすらに新聞作成に打ち込めるので、猛烈に嬉しくてなりません。
ワークショップやラーニングイベントの内容を、その会の間にまとめて、印刷し、発行する省察ツールです。
事前準備はかなりするものの、時間が許す限りいまここでのできごとや発話を拾って、記事を編んでいきます。
新聞や出版関係のお仕事なされている方、こんなパロディをお許し下さい。RTPの記事を書けば書くほど、記者さんの精緻な文章構成力に憧れるばかりです。

先日も「酒場学習論」というラーニングイベントで、RTPを作成してきました。酒場学習論の実際の内容については、以下の主催者じぇいさんのブログに詳しいです。

http://jqut.blog98.fc2.com/blog-date-20130520.html

新聞記事がどのような文章群で構成されているのかを研究し、割り付けから一面下部3段の書籍広告部分まで模倣させてもらい、パロディとしてのRTPを作成しています。

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酒場学習論でのRTPです。
閉会とともにRTPを配布し、今日の内容をお読みいただき、お持ち帰りいただく。
ワークショップの省察ツールと位置づけています。

今回は、古典酒場「まるます家」さんが会場でした。
会場には、大量印刷するコピー機はありません。
小型プリンタを設置するのも「無粋」に見えちゃうから避けたい。

ただし、電源の使用が許されているマクドナルド(の窓際の席)、USBメモリからデータ出力/数十枚の印刷が可能なセブンイレブンのコピー機またはキンコーズ、そして酒場学習論のような良質なイベント、デジタル一眼レフカメラ、MacBookとイラストレーター、モバイルルーターがあることで、即日新聞発行のモチベーションが喚起されます。

この感覚は、非常に面白いと思っています。

だって、こういった人工物(artifact)や店舗などがないと「発行しよう」という思考にならないんだもの。

「道具と欲求」について議論されている横浜国立大学の有元典文先生はこう述べます。

...そもそも、私たちがどんなことを「したくなる」か、という欲求(ニード)の問題にさかのぼる必要がある。なぜなら私たちは、驚いたことに、自分のしたくなることしかしたくならないからである。これは私たちの欲求について重要なことである。私たちはその道具や装置や知識や技能のおかげで出来ること、しかしようとしない。

(略)

メモや、室温調整や、移動のための、こうした道具・装置・工夫が開発される以前の世界を想像してもらいたい。紙やペン以前、さらには文字や記号の開発以前に、いま私たちにわき起こるような筆記具によるメモの欲求は無かったに違いない。

(略)

文字・記号、ペンやメモ帳といった筆記具、カメラ、エアコン、交通手段、携帯電話、メール、公式、薬、辞書、こうした人間が作り出し、利用し続けてきた人工物(アーティファクト)は、それが無くても他の手段で出来ていたことを、それが無いと出来ないことに変えてきた。正確には、「したいこと」そのものを変質させた。私たちの活動の対象自体を変えたと言ってもよい。 『社会と文化の心理学:ヴィゴツキーに学ぶ 第2章』

ここまでかっこよい文体で語ることはできませんが、私の「RTPをつくりたい」ということ、もっといえば「欲求」は、マクドナルドやセブンイレブンやキンコーズやラップトップやWifiやカメラ...こういった「人工物」や「都市の舞台」とセットで立ちあらわれます。

コンビニとファストフード店と言えば、駅前の景観を均一化、画一化するものとして忌み嫌われる対象となる場合もあります。しかし同時に、私の「したいこと」を喚起してくれる舞台装置でもあります。三浦展さんが概念化し、人口に膾炙した「ファスト風土化」したどこにでもある駅前。この景観が、とたんに「「したいこと」を喚起する場」に見えてきます。

私が、現地調達で、即時的に何かを作っていくという発想になれる根源には、慶應義塾大学の加藤文俊先生の存在があります。加藤先生は、『キャンプ論:新しいフィールドワーク』の中で、「できるだけ現地で調達する」ことの意味について議論しています。

数は多くないのですが、加藤先生の「キャンプ」または「キャンプ的な活動」に参加させていただくことを通して、街を観る「目が肥えた」ように感じています。

「RTPをつくりたくなる」という人間の(人間らしい?)営みや欲求は、モバイル化した人工物と、ファスト風土化した駅前の舞台とセットで成り立ちます。人工物と私たち主体(の欲求)との関係を論考することも可能にしてくれるRTP、お得です。

ご興味ある方がいらっしゃいましたら、是非お声かけいただければ幸いです。

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今年の研究室3年生は、株式会社ソフィア×実践女子大学松下研究室×東京都市大学岡部研究室で計画された実験的なインターンシップに参加しております。

http://newintern-project.blogspot.jp/2013/04/blog-post.html

おおまかな概要=設定は、実践女子大の12人、都市大の12人がリレー方式で1週間ずつソフィア新入社員として仕事をするというもの。実践女子大は伊集院ひかりさん、都市大は勅使河原まやさんというひとつの人格で(途中性別が変わろうとも)インターンに臨む。ソフィア社員のみなさまには、可能な限り「生」「日常」のコミュニケーションをとってもらう。どうしても困った時は、勅使河原さん伊集院さんそれぞれに渡された50枚の「ヘルプカード」を駆使する。

ざっくりとは、このような設定です。
ソフィアのみなさま、松下先生、伊集院さん、勅使河原さん、本当にありがとうございます。

毎週金曜日に、限られた時間の中、リフレクションを行っています。
実験者である私の関心は、この舞台設定がどのような意味をもっているのか、何か有益な作用をすることがあるのか、こちらが仮説として想定していたような利点が生じるのかという点にあります。
実験開始から2週間経過して、2回のリフレクションがなされた結果、以下の3つの点が、この舞台設定と関係して気づいたことです(今のところ、です)。もしかしたら、ごくごく当たり前のことかもしれません。

1つ目。
何を引継いだら、何から何までを情報伝達したら、「引き継いだこと」になるのか、分からない。本当に分からない。

リレー方式ですので、「今週の勅使河原さん」は、「先週の勅使河原さん」から、職場の様子だとか、どんな社員がいるのか、どんな仕事をどこまで進めたのか、どんな人格として仕事をしたのか、などなどを聞き出し、1週間仕事をし、さらに、「今週の勅使河原さん」にそれを伝達する必要があります。

「今週の勅使河原さん」は、ほぼ初めての場所にいくわけなので不安です。1から100まで「すべて」聞き出そうとします。そりゃそうです。一方で「先週の勅使河原さん」が「なるようになれ!すべて即興と即興のための準備でしょ」という感覚で職場に臨み、かつ、豊かな経験を得た場合、「今週の勅使河原さん」に、「大丈夫だから、なんとかなるから、とにかく行ってみて!」という「引継ぎ」をするかもしれません。

「今週の勅使河原さん」と「先週の勅使河原さん」のどちらが悪いとか良いとかはさておき。引継ぎは非常に大事。だけれども、何を聞いたら1から100まで聞いたことになるのか、は自明ではないということ。同時に、何を聞けば「聞き出せた」という状態に近づけるのか、質問力も問われること。何を伝えれば「伝えた」ということに近づけるのか、伝達力も問われること。このことを意識した引継ぎが重要になってくると思います。

2つ目。
期間と人数の制約もあり、また、実験意図もあり、ひとつの人格をリレーしてもらう設定にしました。
毎週個性バラバラで...ではなく、ある程度の人格も引き継いで、12人で育てていくようにほのめかしました。

この意味がどういった点にあるのか、明確に語れる自信はありません。実験の設定が多いに間違っている可能性もあります。以下は推測です。

職場の中での人格と、職場外の親しい人との中での人格と、大半は重なりつつも、多かれ少なかれギャップがある場合が多いと思います。そのズレは、会社に居続ける中で醸された、他の社員とも共通してもっている「弊社らしい(?)人格」なのかもしれません。

第3者的人格とでも言えばよいのか、「会社の人格」(?)のようなものを自分たちで育てつつ、サイボーグ体のようにそれをインストールしていく面があるのではないかと推測します。

会社とは、100%個性を発揮した人々の集合体ということではなく、人格のある側面を共有しつつあり、同時にある「会社の人格」(?)をつくりつつある人たちの集合体なのかもしれません。

この点がインターンシップで見えてくることが重要なのか否かはよくわかりません。が、ソフィア社員の方の実感としては「第3者的人格」や「会社の人格」(?)ということは企業で仕事をする上で意識せずにはいられないことのようです。

伊集院さんと勅使河原さんには、この設定ならではの人格構築にクソまじめに取り組んで欲しいです。どういう人格として仕事をしていたか/周りから見られているかを、前後の勅使河原さんと話しながら「つくって」いくマインドを、引継ぎの際に発動させてもらえればと思います。

引き継いだ結果、自分が認識する自分のキャラとは違う勅使河原さんを演じ(?)なければならないと感じたとしたら、もしかしたらそれはよいことかもしれません。会社で仕事をするということは、ある程度「弊社」の人間としての人格をインストールすることも含まれると考えます。

3つ目。
実験の舞台設定、ゲーム的に「攻略」してみる。

例えば「押しつけの人格」を演じるのはつらいのだけれども、自分たちでソフィアの人格を考えながら、自分たちで伊集院さん勅使河原さんの人格に「制約」をつけて、その「制約」を意識しながら動いてみる。このような能動的な存在として設定をいじって、設定にはまってみることを試みるのは面白いかもしれません。

人格も引き継いで欲しいといううっすらとしたお願いは出しつつも、どんな人格かまでは設定者が規定していない。それを逆手にとってクエストして欲しいと思います。

社員になんでも質問できる「ヘルプカード」は、2週間で1枚も使用されていません。聞くと「どんなレベルの内容を質問するためのカードなのか分からない」との声もありました。そんな伊集院さん勅使河原さんに対する、松下先生のコメントは、

「ヘルプカードを使って、ヘルプカードってどうやって使えばいいんですかと聞けば?」

なるほどね。
実験の設定を楽しんで、どこかその設定を凌駕した「良質な問い」に見えます。
ゲームだけじゃなく、会社でも学校でも、設定や制約があると思います。その設定を窮屈だと感じて思考停止しちゃうと、ゲームは面白くありませんし進みません。そこで設定や制約を遵守しつつ、軽やかに乗り越えてみる。設定や制約にただ抗うのではなく、設定や制約を逆手にとって、小粋な頓知とともにそれらを迎え入れる。

以上、2回のリフレクションを通して得られたまとめです。
あと2ヶ月半継続します。
ここに書いたことは、2ヶ月半後全く歯牙にもかけられていないかもしれませんし、さらに深堀りされているかもしれません。ごめんなさい、それは分かりません。

今日これからインターンに臨む「今週からの勅使河原さんと伊集院さん」に送る言葉は、以上です。金曜日のリフレクションで、これを軽く飛び越える話になることを期待します!

学部時代に教育学部で心理学を専攻していた4年間は、統計学漬けの日々だったように記憶しています。そのおかげで、現在は心理統計の基礎の基礎をレクチャーできるくらいのスキルを得ることができました。

学部、大学院の1990年代から2000年代は、ちょうど質的、定性的な方法が心理学でも花盛りになり、調査手法に疎い私の耳にも「フィールドワーク」「エスノグラフィ」という言葉が入ってくるようになりました。

調査手法と調査対象は不可分で、エスノグラフィが万能というわけではありません。
心理学を専攻していたので、他の心理学者からは怒られそうですが、一応、一応、人間の活動を(科学的に)説明することに興味を持っております。
ただし、人間の日常的な振る舞いというものは、私にとっても、そして、誰にとっても、空気のように当たり前すぎて記述することすら困難です。普段やっている「当たり前を疑うこと」ほど、難しいことはありません。

さて、どうしましょう?
大学院生時代からは、様々な先生方からのご助言のもと、人々の具体的で、ちょっと奇異に見える活動を対象にしてきました。小学校の教室、ストリートミュージシャン、ケータイでハイパーコミュニケーションをとる人、プリクラを愛好する女子高校生、カードゲーマー、同人誌愛好家、コスプレイヤーなどなど。
少し自分から距離のある活動だと、それを行っている具体的な活動の形態や、その人々の価値観といった事柄を、「異文化の奇習」のような文化人類学的遠方にあるものとしてとらえることができます。

もちろんみなさん、同じ、人間ですけどね。

例えばコスプレヤーたちに「奇抜さ」を見出し、その振る舞いの根源を探っていくと、彼女らは、コスプレという文化を構築し続けるために語り、活動していることが見えてきます。あたかも、振る舞うことを通して「現実構築」しているかのように。彼女らにとっては「当たり前」で「疑いようのない現実」でも、コスプレをしたことのないエスノグラファーから見ると、独特の人工物やジャーゴンを用いて、まさにその都度「現実」を編み上げているように見えてきます。

これは、自分から「やや遠い対象」にアクセスしたから見えてくることだと思います。コスプレイヤーだけではありません。ちょっと身近に引き寄せれば、「心理学者」も「運動選手」も「音楽家」も、独特の人工物を用いて、特有の意味や価値を創出しながら各々の現実を構築している存在だと言えます。

そういった、私から見ると「異文化」に見える振る舞いを分析し、そこから逆照射する形で人間の日常に迫る。これが、私にとってのフィールドワーク、エスノグラフィの理解でした...。


昨日までは...。


エスノグラフィックな思想や手法の根幹を、イノベーションや、イノベーションが起きるような組織形成に援用しようと試みている、株式会社リ・パブリックの田村大さんと市川文子さんの実践は、私の想像を軽やかに超えていました。

田村さんに関しては、この記事をご覧になっている方も多いのではないでしょうか。
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20101005/201010toku1.html
市川さんとは、2010年のEPIC(Ethnographic Praxix in Industry Conference)で「コスプレ道」なるワークショップ(?)的なものを、当日一緒に進行したり。

田村さんと市川さんは、昨年度末まで博報堂に勤務されていて、今年の4月から、共同でリ・パブリックを創業されました。湯島天神徒歩2分という波動の高い新オフィスに、IKEAからの家具がどんどん運び込まれるワクワクする中、お時間いただき、意見交換させていただきました。

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文京地区にたたずむ、白塗りの開放的なオフィスです。
一見、パブリックアートのスペースかと見まがうような力を持っています。

10時半からランチ(ナポリピザアランジャルシ。アンチョビのピザと、チーズピザが抜群の塩分濃度)をはさんで、おふたりがどんなどんなことをなされようとしているのか、そして、どんな世界を見たいと思っているのか、そんな話に、3時間たっぷりびんびんしておりました。

やっぱり、波動の高いオフィスです。

田村さんのなさっているお仕事をひとことで表現していただくと、「イノベーション・アーキテクト」。やっと、タイトルに行き着きました(ほっ)。
例えば、「良質なアイディア」をどのように考えていけるのか、また、そのためにはどんな組織をつくっていけばよいのか、そんなことを田村さんは徹底的なリサーチと人、組織とのネットワーキングを通して構築しようとします。
「デザイン」や「リサーチ」だけではない。リサーチャーとしてのアイデンティティは強く持ちつつも、そこに「エンジニアリング」の観点を多分に絡めて、イノベーションを建築的に捉えて行く。
リサーチとコミュニケーションから人工物をつくり、それが使われていくこと、かつ、「壊れちゃいけないもの」に育てていく。こんな風に、プロダクト志向で、実践的なエスノグラファ、私は知りません。ぶったまげました。

田村さんと市川さんのお話の中で興味深かったことは、

「フィールドワークの質は大事。大事だけれども、それとともに、むしろそれ以上に、インパクトを考える。」

という点。
興味関心に基づき、学術的に丁寧に分析を加えていくことは大事、というか基本。
リ・パブリックは、その先、すなわち、フィールドワークを通して他者に対してどのような深い影響やインパクトを与えることができるか、ということまでの設計を目指していると理解しました。とにもかくにも、イノベーションの二大要素は、(1)変化と(2)インパクト。いくら良質なエスノグラフィのリサーチでも、インパクトがなければ、(研究者にはインパクトを残せても)なかなか市井の人々の活動に影響を与えるまではいきません。反対に、インパクトフル(?)であれば、目にとまり、集まり、いじり、はまる人たちがでてくる。そして、活動が生まれ、持続する。そのためには=インパクトを与えるためには、現存する権力構造を壊すことも、時に迎合することもあるというスタンスも、印象的でした。

というわけで、これからは「ラーニング・インパクト」です!

創造的模倣、専有の域を超えているのですが...。この言葉、私が関わってきたschool3.0やファンカルチャーのエスノグラフィなどのリサーチをおふたりにお話しているときに出てきたものです。

私も「インプレッシブ・ラーニング・アーキテクト」です!
このアイディアは、今後もリ・パブリックとの定期的な交流を通して、洗練させていきます。
その上で、このラーニング・インパクト/アーキテクトについて考えるイベントを組織できればと考えています。是非ともご期待下さい!

田村さん、市川さん、そしてお会いできなかったのですがもうひとりのリ・パブリックの方、今後のますますのご活躍を激しく期待いたします!
そして、いいこと思いついたら、湯島まで走りますので!

本当に、ありがとうございました。

同志社女子大学の上田信行先生とgirls band主催の「最先端のパーティ」を考えて実行するワークショップ、Party of the Future(POF)2013に参加してきました。

大和上市駅まで行く電車内から、RealTime newsPaperをつくりはじめました。
トータル2時間くらいの作業時間で、無事、片面のみ作成/発行してきました。
POFで語り合われた議論の内容は、新聞をご覧下さい。

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今回のPOF、圧巻は曽和先生のRTV。
鬼気迫るものを感じました。
リフレクションのツールというものを超えて、ある意味、参加者のためではなく、曽和先生チームが「描きたいこと」を徹底的に表現した「アート作品」に見えました。

さて、今年のPOF@ネオミュージアム(ウエダ先生の私設ミュージアム)でウエダ先生とお会いして、最初にウエダ先生からうかがった言葉が"unprepared mind"。

unprepared mind?!
無理矢理日本語に訳すとしたら「準備しない心」。
ウエダ先生は言います。事前に「準備」して、「準備したものだけ披露」しているだけでは、もったいない。持って来たものを、その場でもっと面白くしよう。

準備は大事。これは、間違いない。no preparationでは、ない。
「準備してきたもの」を当日「超える」パフォーマンスを見せることが、そういう意識をもって場に臨むことが非常に大事。
そのためには、準備してきたもの・ことを、思い切って捨て去ることも必要となります。
準備してきたことや事前のプランにがっちがちに縛られたままでは、ユニークなものやラディカルなものは、でてこない。

ウエダ先生は、Box and Needleの大西景子さんとの対話を経て、unprepared mindの概念に行きついたと言います。では、unprepared mindは、いかにして可能になるのか?

ウエダ先生とライブでお話する中で見えてきたことを思い起こすと、unprepared mind(準備しない心)とは、以下の3点にまとめられると思います。

(1)事前に準備してきたこと以外を提供することを放棄することをやめる。
(2)とにかくその場に行き、その場の資源や人的資源を最大限に活かすことに努める。
(3)unprepared mindは、preparationに新たな意味付与をしてくれる。

もちろん、この3点だけじゃないとは思います。

(1)事前に準備してきたこと以外を提供することを放棄することをやめる。
私は、講演会や授業などの時、とかく、事前にがっちがちに準備してきて、そのことを自分でつくった台本どおりにひたすら伝えて、「はい、シャンシャン。」で現場を後にしてしまいます。
授業でも、最初の30分はこれをやって、次にこれをやって...とプランをたてて、とにかくプラン通りにこなそうとする。
そこから逸脱すると、もうあたま真っ白になる(ごめんなさい)。

授業の90分のシナリオを追うことに集中して、オーディエンスである受講生の顔や表情なんか、見ちゃいない(ごめんなさい)。
事前にリハーサルを重ねたり、徹底的に準備するのは重要です。ただし、本番でそのプランを遵守することだけに専心してしまうと、それだけ、何かが生まれる可能性は低くなります。

(2)とにかくその場に行き、その場の資源や人的資源を最大限に活かすことに努める。
プレゼンテーションなどで発表をする場合、多くは一緒に場をつくってくれているオーディンエスがいます。
unprepared mindという気持ちのありよう、また、そういう視点をインストールしてからオーディエンスの前に立つと、自分が否応無くみんなの顔をみはじめることに気づきました。
大学の授業でもなかなか学生の表情をみながら喋ることはなかったので気づきませんでした(ごめんなさい)。
表情をみて、その表情にあわせて即興的に振る舞いを変えてみることで、インタラクションがおきているような錯覚になりました。

(3)unprepared mindは、preparationに新たな意味付与してくれる。
unprepared mindだからといって「何も準備をしなくていい」というわけではありません。「unprepared mindが大事だから、今日は何も準備してきていません!」と「ベタ」にとらえると、何もおきません。
矛盾しているように聞こえますが、unprepared mindは日常のpreparation(準備)の重要性を再認識させてくれる概念だと考えます。ここで言うpreparationは、1で述べたような「こっからここまでこの順番でこのタイミングで提供する」ための「がっちがちの準備」ではありません。
むしろ、unpreparedなんだから、もう、何をふられても何かリ・アクトできるようにしておく意識、この意識の重要性を包含しています。しかも、そのリ・アクトする「本番」すら、いつくるか分からない。
だけれども、そんな状況を想像しながら、個々人が日々準備していく。そのマインドがあると、机に向かって知識や情報を得る時間も、すごく愛おしいものに見えてくるかもしれません。
unpreparedな状況に向かうために、準備する。ただし、1から∞まで準備することはできません。そんなの目指したら、やる気なくなります。
個々人が、常に「1から100くらいの準備」をして、ことあるごとにそれをアップデートして、学びのオンステージを愉しむために自分から近寄って行く。こんな美しい世界を見るために、机に向かい書を読み、エッジのきいた人に会いに行き、沈思黙考する。
そしていざ本番では、unprepared mindで、preparationしてきたものの中から、引き出しを開け閉めしてみる。このようなpreparationの意味再編それ自体が面白いと思います。

というわけで、何かのためにがっちがちのプランをたてて準備することは、もう、ありえない?!

unprepared mindを持つと「準備してきたけど、使ってもらえなかった。」とか、「せっかくかなりの時間準備してきたのに、評価してもらえなかった。」ということは、どうでもよくなるかもしれません。unpreparedな状況がいつくるかなんて分からないですし、1〜10までうまくいくことが分かっていることは、もはややらなくてもいい、という考え方になるのかもしれません。

先日、ウエダ先生と大西さんらとともに、unprepared mindから発展したnew 3Rs literacy(読み書きそろばんに変わる新しいリテラシー)について議論しました。その内容は、たぶん、おそらく、後日記載いたします。ただし、二子玉川のおいしいもんじゃ焼きをたべながらの議論でしたので、まだ、議論の方もはっきりとした形状になっていません。

4月24日に、NTT DoCoMoさんに研究室の学生とお邪魔してきました。
おそらく10年ほど知的交流をさせていただいているNTT DoCoMoの池田さん、池田さんがお誘い下さった安立さん、田村さん、そしてモバイル社会研究所の遊橋さん、向田さんとともに、私が昨年度取り組んできた(1)劇場型学習環境デザインSchool3.0、(2)スマイルサイネージ「エミタメ」の場づくり、(3)ファンダム文化に見る学びのデザインのエスノグラフィについて報告し、議論させていただきました。

安立さん、池田さん、田村さん、向田さん、遊橋さん、貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました!

ちなみに...

(1)劇場型学習環境デザインSchool3.0とは、同志社女子大学の上田先生、Box and Needleの大西さん、アーティストの重田さん、柴田さん、NECの福司さんらとともに行っている新しい学びのデザインを考える実践です。プロのカメラマンとデザイナとともに、AXIS表紙風の写真を撮って雑誌をつくってみたり、レコードジャケットをつくってみたりしながら、「見られる存在」である「自分」を構築することが狙いです。
「ステージ構築」や「Connected Learning(Mizuko Ito et al, 2013)」をキーワードにしたワークショップを企画し、実験しています。

(2)スマイルサイネージ「エミタメ」とは、電通国際情報サービス(ISID)イノベーションラボさんと、Koozytさん、ソニーCSLの本條さんと一緒に行ってきた実験です。技術的側面としては、SONYの笑顔認証機能とミラーサイネージがベースになっています。 「笑み」が伝播する社会的仕掛けづくりに携わっています。

(3)ファンダム文化に見る学びのデザインのエスノグラフィとは、コスプレイヤー10人に対する同行調査とインタビューから、パフォーマンスとモチベーションの関係、「ファン資本」(Hills, 2002)の結び目づくりに関する論考です。

30分も予定を延長して議論させていただいた内容は、極めて刺激的でした。
良い悪い/正しい正しくないはさておき、「学び」というものの価値転換に関する議論に発展していったように思います。

人々の笑顔を収集する「エミタメ」プロジェクトは、ざっくり書くと、自分の笑顔によって得られた「利」をどのように用いるかを、その人に考えてもらう、という仕掛けづくりです。自分の笑顔を、自分のために使うのか?それとも他者のために使うのか?ということを意識してもらうデザインを施しています。

そして、School3.0における学びや、ファンダム文化にみられる学びの根幹にあるのは、「自分の仲間に喜んでもらうために知識や情報を得て、それが自分の喜びになって伝播する」ということです。

誰か仲間が喜んだり、楽しんでくれたり、考えたりするようなことを仕入れにいくこと。そして、いわば「垂直的学習」によって、仕入れた知識や経験を「水平的学習」的に相手に伝えたいと思うこと。

遊橋さんは、エミタメを『ペイ・フォワード』的だと表してくださいました。そして、自分も含めた誰かのために学ぶファンダムカルチャーもまた、そのモデルが根幹にあると。

エミタメとSchool3.0的ワークショップやファンダム文化のエスノグラフィの結節点を言語化できずにいたのですが、これらがひとつにつながったように感じました。

「人にハピネスを伝えること」によって「価値」が生まれる社会は、ステキですね。
それがソーシャルメディアであれ、対面式のワークショップであれ。
このような思考になれた場を設定してくださった池田さんに、深く感謝いたします。

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また来年の交流会に向けて、1年間精進します!

「インターンシップに参加してみたら?」

と、毎年学生にはとおすすめしている私です。
が、今まで一度もインターンシップも新人教育も受けたことがありませんので、その内実は全く分かっておりません。

大学教員は、学部4年間+大学院5年間以上の合計9年間以上もOJTを受けているようなものなので、そう考えると手厚い新人教育ですね。

そんなインターンシップ未経験者の私の耳にも、「学生のインターンシップに対する興味・関心がある」ことや「インターンシップに参加すれば、就職活動に有利になる」という言説が入ってきます。事実、そういう面はあるのでしょう。

同時に、現在「提供されているインターンシップが『整えられすぎて』おり」、「社会に出た時にぶつかる現実と、提供されているインターンシップがやや乖離している」という声も聞こえてきます。

もちろん、そんなインターンシップばかりではなく、

・就職活動のミスマッチや早期退職を防止する
・就業に対する意欲の向上

といった目的に寄与するインターンシップもたくさんあるでしょう。
インターンシップ素人ゆえ、このあたりの事情は伝聞でしかありません。ごめんなさい。

イケてるインターンシップのデザインは、私には無理だと思います。
ただし「実験」という文脈までハードルを下げていいのであれば、...ということで、今年は研究室の3年生に、以下のようなインターンシップの実験にご協力いただいております。株式会社ソフィアさんと、実践女子大学松下慶太先生の研究室との協働企画です。

http://www.sofia-inc.com/

http://www.jissen.ac.jp/jinsha/staff/matsushita.html

このような機会をいただき、本当にありがとうございます。

5月7日からスタートしているのですが、プロジェクト名は、実はまだ曖昧です。
iiiと呼んでいます。
hogehoge internshipという名称を考えていて、だったら頭文字iの英単語を並べようかということで、innovative informal internship(仮)、immersive internship(仮)で動いています。動きながら考えてごめんなさい。

実験のセッティングは、森口さん(@ソフィア)のブログから借用すると、以下のとおりです。

新社会人になって初めて気づくこと、例えば、

・同世代の中の人間関係だけではなく、自分の親の世代の上司や先輩との協働的な関係が求められる
・言われたことだけをやっていればよかったことから、自発的な行動が求められる
・ミッションとして与えられているもの以外の仕事の存在に気付く
・筋が通っていないこと、一見理不尽だと思える指示・命令を目の当たりにする

のような、社会人になった途端に始まるあれやこれやの、密林のような仕事場にいきなり放り込む、という、シンプルなセッティングです。
「ほとんど設えないから、会社の日常の中でサバイブしてみましょう。」というものです。
メインの仕事のミッションはあるにしても、いろんな雑務の「差し込み」「差し込み」が来る。ソフィアさんの社員の方々の中には、たまたまちょっと機嫌が悪い人がいるかもしれないし、社員どうしの言い争いを目にすることもあるでしょう。そんな場に身を投じてもらいます。

iiiは、2013年5月6日から7月26日までの約3か月にわたって開催されます。

開催期間中、岡部研究室、松下研究室からそれぞれ1名ずつ、計2名が週替わり(リレー方式)でソフィアに勤務します(ただし、大学授業への出席は必須としています)。勤務中の学生の名前は統一で「勅使河原まや」(岡部研究室)、「伊集院ひかり」(松下研究室)です。ソフィア勤務中につくられた発言・行動を含むすべての実績は、学生が代わっても引き継がれることとします。学生はその引き継ぎ方法を各自検討しなければなりません。

勅使河原さん、伊集院さんは、ソフィア広報室に配属され、ブランディングに係る施策を検討し、プロトタイプを作成することがミッションです。でも当然、いろんな仕事を頼まれたり、いきなり社外の業務にかり出される勅使河原さんや伊集院さんもいるでしょう。一方で、他の「差し込み仕事」を頼まれない勅使河原さんや伊集院さんもいるでしょう。

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とはいえ見慣れぬ職場環境をサバイブするために、勅使河原さん、伊集院さんには期間中50枚ずつヘルプカードが付与されます。これを渡された社員のみなさまは、どんなことであっても助けるルールにしていただきました。

ほんと、こんな実験を計画してごめんなさい(汗)。

毎週金曜日に、森口さん(@ソフィア)、勅使河原さん、伊集院さん、松下先生、私でスカイプにてリフレクションを実施し、1週間の振り返りとともに、活かせることを話し合います。

この実験がどんな成果を生むのか...分かっていません!

その実験が行われる環境や実験の独立変数を適宜整えていくのが実験者の役割だと思いますので、その任務を遂行します。

現時点で、勅使河原さんと伊集院さんに期待していることは、仕事や学業を「ベタ」に捉えるのではなく、「メタ」に捉えてみることの面白さに気づくことです。

もしかしたら、与えられたお仕事を「消化」していくという、目の前のことがらに「ベタ」に取り組んでしまう場合もあるかもしれません。あまり気分ののらないレポート課題のように、付与されたものを淡々とこなしていく様子をイメージしてもらっても良いかもしれません。

その段階から、自分や他者の仕事のやり方やスタイルを「メタ」に捉えられるところまで移行してもらうには、どういう環境や独立変数を整えるのがよいか、考えます。

協働せず、個別にお仕事に取り組んでいる状態が、他の社員の方々からどうみられているのか?

この仕事のやり方ではたしてよいプロダクツができるのか?

といったように、自分の言動を俯瞰して「メタ」に捉える視点に面白さを感じてもらえればと思います。

勅使河原さん、伊集院さんの日常は、森口さんが毎日ブログにまとめてくださっております。
深く感謝いたします!

是非、勅使河原さん、伊集院さんがいかにサバイブしている/こけてるのかを見ていただければと思います。

「はたらく」ということ。実験的インターンシッププロジェクト
http://newintern-project.blogspot.jp/

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4月26日、MALL理事中原淳さん、日立ソリューションズさん共催のラーニングバー「多様な社員を講師に育てる仕組み」に参加してきました。品川のビル20階で行われる、「大人な感じ」の空間でした。

このラーニングイベントでは、ソフトバンクモバイルの大内さん、島村さん、海上さんが、ソフトバンク社内でなされている「講師内製化」の取組みについてお話くださいました。

講演の内容については、当日RTP(リアルタイムニュースペーパー)にまとめられていますので、ご笑覧下さい。ちなみにRTPは、イベント・講演の内容を、その最中に書き上げ、写真を貼り、ひとりに2部以上行き渡るよう印刷し、ラップアップで配布するという「リフレクションツール」であり「ギフトツール」であり「対話ツール」です。

MALL中原淳さんブログ
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/05/post_2000.html

MALL研究員松浦李恵さんブログ
http://riecafe.com/blog/2013/04/post.html

このRTP発刊のために、日立ソリューションズの小嶋さま、畑野さまには、大変なご尽力をいただきました。また、当日会場にいらした方々のご協力もあって、なんとか間に合わせて刷り上げることができました。ひとりでは、どう考えても、無理(笑)。

社員を講師として内製化し、講師デビューさせるというソフトバンクさんの取組みは、示唆に富むものでした。ご講演の後、参加者のおひとり、平井さん(@株式会社ソフィア)とお話していてふと思ったことがあります。大学という組織を活性化させるための「大学内講師(?)内製化」は、大学では可能だろうかか?という問いです。

大学には、話すネタの宝庫で、ネットワークのハブになっていて、人にモノ・コトを伝えることに長けた教職員が多数います。それこそ、うじゃうじゃ(笑)。

ただし、仮に私が、自分の研究内容や実践内容について、あらためて「大学内講師(?)」として「身内」の方々に伝えるという状況におかれたら、私はどのように反応してしまうだろうか。

おそらく私は、文理様々な学問領域の方々の前で、

「私は、ずっとド文系できておりまして、一応心理学やってきたんですけど、そこからもどんどん外れていってしまっておりまして、...学会としては一応◯◯学会などで発表したりできるんですけど、でも内容は重箱の隅をつついたような内容でして...」

といったような何のために話しているのかさっぱり分からないエクスキューズだけで3分くらい時間を使ってしまったり。または話の途中でも、

「この手の内容は、私なんかよりも◯◯先生の方が詳しいと思うんですけど...」

といったような、誰が幸せになるのか分からない言葉を述べてしまう。
最悪の場合、オーディエンスからのツッコミを「単なる批判」ととらえてしまい、保険のきかない疾病に見舞われ、泡吹いて倒れてしまう。

...「お前の研究なんて、まさにその通りじゃん」という声が聞こえてきそうで怖いのですが(笑)。

聴き手、オーディエンスの態度や姿勢の問題、ということは、ここでは問題にしないでおきます。

「大学内講師(?)の内製」の話は、最近よく耳にする「ラーニングコモンズ」の思想ともつながるように思います。かっこいい学びの場をつくるだけではなく、学びの風土やネットワーク形成とセットで考えていかなければならないこと、この考え方が重要だと思います。

例えばランチをとりながら、他の先生や職員の方が、どこか学会やよその大学、企業から仕入れてきた内容について聞く。もしくは、私が他の教職員の方々に、自分の関心や、よそで仕入れてきたことを伝える。

そんなことをお互いにしあっていると、大学の身内の方々の「アンテナ」が、徐々に私にもインストールされていくように思います。そして、私が学会や研究会や企業でプレゼンしている中で、ふとその「他者のアンテナ」が勝手に発動し、「あの人に伝えたい知識や情報やネットワーク」を感知、受信してしまうのではないかと考えます。

そんな発動までをセットにした「大学内講師(?)の内製」という思想や風土を考えていくことが、どうも愉しそうです。大学内の教職員の中には「話すネタの宝庫」で、「人にモノ・コトを伝えること」に長けていて、「ネットワークのハブ」になっている人がたくさんいます。会議以外でも、協働的な時間を過ごす機会も少なくありません。

こぎれいな学習スペースをただ構築するだけではなく、「空間」×「時間」×「ネットワーク」で構成される「ラーニングコモンズ」の思想を大学でひろげていく。そんなことを考えさせられたラーニングバーでした。

先日、横浜国立大学の有元典文先生と、北樹出版編集の福田千晶さんと、7月に企画している「ラーニングイベント」について愉しげな打合せをしてきました。

有元先生、前日のお酒が抜けない中、ありがとうございました!
福田さん、遠方までありがとうございました。

お題は、昨年度から「はまって(Geeking Out)」いる「パフォーマンスのモチベーション」。ただし、これはエマージェントな思考状態にありますので、暗中模索、五里霧中、まだバッチリきれいさっぱり概念化/言語化不可能なシロモノです。

そういえば先日、来日した伊藤穣一さんが、「Learning Creative Learning~MITメディアラボで実践している「学び」への挑戦~」という講演をされました。
http://www.academyhills.com/school/personal/tqe2it00000ji713.html

その中で、伊藤瑞子さんらがデジタル世代の学習形態を描いた『Hanging Out, Messing Around, Geeking Out』に触れて、それぞれ、「集まる」「いじる」「はまる」と和訳したそうです(私は参加できなかったのですが、参加された方にその日のうちにギロッポンでうかがいました)。

Geeking Outを「はまる」と訳すのは、キュートだなと思いました。

閑話休題。

イベント詳細は後日アナウンスさせていただくとして、

「人はなぜパフォーマンスするの?」
「なぜ今、会社でも大学でも学びの文脈でパフォーマンスが注目されているの?」

「パフォーミングそのものが、動機になっているってことじゃない?」

といった内容を深堀りしていければと考えております。

有元先生と執筆させていただいた拙著『デザインド・リアリティ:半径300mの文化心理学』では、活動理論や状況的学習論といった視座に則り「どのように人間が振る舞うのかの、その社会的仕掛け」までは描いたのですが、そのナマナマしい動機の側面までは、じゅうぶん記述できておりません。

私の日常を思い起こしてみると、面白い授業を思いついちゃったり、面白い授業がやりたくなっちゃったりすること自体が、強いモチベーションを喚起します。

「そんな授業にとりかかっちゃうこと」自体が面白そうで、「何かやること」自体が動機付けになっていることは、多々あると思います。Lois Holzmanに言わせれば、パフォーミングがモチベーションだ、と。

まず動機があって、それでパフォーマンスをやるというように切り離されたものというよりも、むしろ、「パフォーミングそれ自体が面白そうだからやってみよう!」という状態。すなわち、パフォーミングとモチベーションが「同時に」生じているということ、それにとりかかること自体が面白そうだから、やっちゃう、という状態。

大学や会社の会議も、決まりきった予定調和で行われているというよりも、「パフォーマンスを通したリアルタイムの集合的実行」だと見てみると、自分のネイキッドな身体や言動を「知覚」可能になるかもしれません。

会議のもつ制度や空間や道具的制約などなどの社会的仕組みがまずあって、私たちの言動がデザインされている、そんな「デザインされたリアリティに生きている」という視点から、一歩先、「デザインド(designed)ではない、ネイキッドなデザイン」について、パフォマンス=モチベーションの観点から考えてみる、という企画です。

まだまだ議論まっただ中で、こなれた文章にはほど遠い論考ですが、あと3ヶ月かけて熟成させていこうと思います。「まだなんだか分からないけど、なんだか愉しそうだから、考え続けてみる/やってみる」という状態にありますが、おそらくその状態が、もっとも動機付けられているということ、このことを実感しつつあります。

この魑魅魍魎な議論をタネに、魅力的なラーニングイベントを設計できるよう、がんばる。=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ✧

何年か前にTEDで紹介され、ウェブでも多くの方々が動画共有サイトで視聴したであろう「裸の男とリーダーシップ」。私の解釈では「リーダーとは、フォロワーによって後付け的に可視になる。リーダーシップを考えていく時は、最初の勇気あるフォロワーにも着目してみよう!」という点が非常に興味深く受け入れられたのだと考えます。

この映像とプレゼンテーションには「勇気あるフォロワーもまた重要で、フォロワーこそがリーダーを形成する」というメッセージが含まれていると思います。ただし、その(事後的に見れば)フォロワー(だった人)が「リーダーをつくろう!」「この人をリーダーにしよう!」と意図的/戦略的に行為を真似ても、なかなかそんな思い通りにいかないでしょうし、あまり有意味な結果を生むとは思えません。

上記の点に関連する最近の議論として、「組織に権力者が要請されるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人びとが権力者を通して権力を行使したいがため」というものもあります。打算的にフォロワーになっても、あまりいいことはなさそうです。

実際、「あ、この人のやってるこれ、面白そう!」というinterest-driven(興味に駆動された)なアクションをとり続けているうちに、その中にはムーブメントになるものもあれば、ならないものある、という感じだと思います。むしろ、大学でも会社でも、ほとんどは「面白そうだからのっかって」みても、そんな大きなムーブメントにならずに流れていくことの方が多いのではないかと考えます。

さて、新学期。
私の研究室でも、新3年生の配属が決まりました。

例年、この時期は「ゼミ長」というリーダーを決めることが一般化されているかもしれません。ですが、今年はここ1ヶ月くらい「フォロワーであること」を重視する組織のデザインは可能か?という問いについて考えております。具体的には「特にリーダーを決めなくてもいいんじゃなかろうか?」という思考になっております。

今年は、このある種の「実践」を行ってみようと考えています。これは「実験」ではありません。また、ゼミ長という制度や、大学はじめ組織におけるリーダーの活動を批判する意図もありません。

おそらく、この「フォロワーマインド(?)」に憧れていて、それを最も必要としているのは、この私自身なのでしょう...。社会的に優れた活動をしている方々に、のってみる(ことを繰り返す)こと、このマインドを、より私自身が意識していくような社会的仕掛けを考えてみたいと思います。

特に「フォロースキル/フォロワースキル」なるものを概念化したいわけではないですし、前述した通り「最強フォロワーになろう!」と意識して動いていたら、疲れちゃうでしょう。そして私は、この実践が、学習研究の知見に何か接合することがあるのどうか、分かりません(ごめんなさい)。

この人面白い!と思った志の高い人に、頼まれてもないのに「のっかってみる」。

そんな風に明日からの日常を過ごしていみたいという期待をこめて。
志の高い人を発見するような日常を過ごしたいという期待もこめて。

私のまわりのinterest-drivenに突き動かされて研究、実践を行う人たちのことを「後付け的に」考えてみると、誰かの最強フォロワーであるようにも見えます。そして、最強のフォロワーたちとの関係から、(事後的にみたら)リーダーっぽくなっている人は、同時に、誰かの最強フォロワーであるようにも見えます。乱暴に言えば、志の高いリーダーは、もしかしたら「最強のフォロワー」でもあるのかもしれません。

以上、ファンカルチャーにおける学びの研究を行っている門外漢の私が言うことですので、真偽のほどは全く保証できませんし、現在、私がこのような意識を持って行動しているとは到底思えません...。

3月末、NPO法人横浜コミュニティデザインラボ(http://yokohamalab.jp/)で開催された「デザインの時代第3回:田中浩也さんと一緒にパーソナル・ファブリケーションについて考える」(の第2部に)に登壇しました。
http://yokohamalab.jp/blogs/4183

Hiroya Tanaka Lab.
http://fab.sfc.keio.ac.jp/

シカゴのファブラボ的活動についてはdml2013にてふわっと理解できたのですが、世界中の「ファブラボ」の実態は、先日上梓された田中さんのご著書を通してはじめて目にしました。そんなファブライフ初学者の私ですが、「つくること」を志向した人びとであるコスプレイヤーなどにおける学びを研究対象のひとつとしているということから、お招きいただきました。

パーソナル・ファブリケーションとは「自分が欲しいものを自分でつくろう」という考え方に則った概念であり運動であると理解しています。3Dプリンターやレーザーカッターなどの道具とともに、DIYしていく。そんな活動を支える場がファブラボだと思います。

田中浩也さんを中心としたグループは、8月21日(水)〜27日(火)に横浜で開催される「世界ファブラボ会議」を先導します。私も、この横浜でのファブライフ、ファブカルチャーの動きを、ひとりのエスノグラファとして観察していければと考えています。

私がファブライフに興味を持つ理由は、以下にあります。

長いこと、学校外のコミュニティにおける学びに興味をもっています。例えばコスプレイヤーの文化的実践です。彼女ら彼らは、衣装にしても、撮影にしても、場所にしても、写真加工にしても、自分でそれらをプロダクション「してみる」ことを通した活動に強く動機付けられているように思います。

言い過ぎかもしれませんが、コスプレの撮影会をアレンジして写真をアップすることを通した、タレント的活動の「パロディ」を楽しんでいるようにも見えます。

どこか、「まぁ、タレントさんなんかの活動って、こんなもんかもね」という感情を覚えているようにも見えます。

コスプレでも、料理クラブでも、電子工作でも、創る側に立ってみると、それまでの「誰かが作ったものを消費する」現実とは異なる世界が見えてくるように思います。よくも悪くも、世の中にあるものが「つくられたもの」であることが見えて来ちゃう。

ファブライフの中で、「メイカーリテラシー」とでも呼ぶべき、ユニークなリテラシーが涵養されるように思います。コスプレにしても電子工作にしても、1回飲み会に行くくらいの投資(?)で、芸能界やものづくり企業のお仕事を真面目なパロディとして愉しむことができるのです。

もちろん、自分で創ることを通して、「ホンモノ」の芸能界や企業がどんなにすごいことかも分かります。こういった一連の事柄は、やはり「つくってみないと分からない」。そういったマインドを育むことが、ファブライフの革新的なところだと考えています。

ちなみに$2,000ドルくらいで研究室にて卓上の3Dプリンタを購入したとします。私のまわりの何人かのコスプレイヤーは、その3Dプリンタで特殊な紋章とか、マスケット銃を創りたがるかもしれません。ファブ「ラボ」ではなくとも、ファブライフがそこかしこにある。そんな世界を見てみたいような気がします。

そして、告知です。

非常にプレイフルな議論になることが予測されます。是非ご参加下さい。
昨年度の認知科学会のワークショップ同様、スクライビングも行います。

私が所属する認知科学会の教育環境のデザイン(DEE)分科会では、2013年9月の認知科学会(@玉川大)において、以下のワークショップを企画しています。たいへん豪華なメンバーで、当日の議論がたのしみです。

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"Make:/Fabコミュニティ"における実践:なぜつくる/つどうのか

 近年、活動理論で知られるエンゲストロムの提示した『野火』(Wildfire)という概念が注目されている。枯れ野のあちこちで自然に発火する野火のように、社会のあちこちで、同時多発的に広まっていく活動を指す。このような活動には、災害時のボランティアからオタクによる二次創作まで、さまざまなものがある。
 今回のワークショップでは、こうした活動の一つとして、この数年で急速に拡大しつつあるFabコミュニティを採り上げて議論したい。これは、汎用基板のArduinoや、小型の3Dプリンタなどの技術革新を背景にして、個人でさまざまなものを作り出すパーソナル・ファブリケーションと呼ばれるものづくりのコミュニティである。
 このワークショップでは、実際にFabのコミュニティや、ものづくりを支援する拠点であるFab Labにおいてどのような実践がなされているかを検討する。活動理論やファン研究の成果を補助線にしつつ、こうした野火的活動を支えるものは何なのかを考えていきたい。

FabLabJapan
http://fablabjapan.org/

FabLabKamakura
http://fablabkamakura.net/

Make: Japan
http://makezine.jp/

企画者
青山征彦(駿河台大学)
岡部大介(東京都市大学)

司会
青山征彦(駿河台大学)

話題提供
小池星多(東京都市大学)
田中浩也(慶應義塾大学)
渡辺ゆうか(FabLab kamakura)

指定討論
八田真行(駿河台大学)
有元典文(横浜国立大学)
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東京都市大学横浜キャンパスでは、3年生から研究室配属となります。
4月24日(水)の午後は、新しい3年生の最初のゼミです。今年は12名の新3年生が入って来るのですが、初回のゼミから「学外」で行います。
慶應SFCで研究員をしていた頃にお会いし、その後おそらく10年位お付き合いのある通信事業者に勤務される方のご厚意で、研究交流会を本社にて開催させていただきます。

理系出身の方で、現在のお仕事/研究もバリバリの工学系です。
ですが、私のような学習研究の一端に身を置く者の研究の話を、いつも、ご自身の日常や研究に接合させていくよう翻訳しているように思います。そこが魅力でお会いしたくなります。そして(可能な限り)毎年、こちらの研究状況をアップデートする会を開催させていただいてます。

こういった学際的な観点を刺激する場の構築は面白いと思います。ただし、私自身、そのような場での対話内容をうまいこと人生のスパイスに変換できているかは、ちょっと怪しい(そんなすぐに何か結果と直結するものではないと思いつつも)。そこを軽やかにジャンプできる方との対話によって、さらにこちらのモチベーションも昂ります。

さて、新3年生は、そんな方に最初から会うことになります。
この後2年間のうちに(例えばワークショップイベントだとか、学会だとか、たまたま来研していただいた方だとか、偶然の機会が圧倒的に多いと思いますが)私が「イケテル大人」だと思ういろんな方々を「見て」欲しいと思います。

どんな人が「イケテル大人」なのかの定義は難しそうなので、とりあえずここでは「私がイケテルと思う大人」とします。私の感覚を信じてもらうことになるのですが、私のまわりの大人はかなりイケテルという自信はあります。

ヴィゴツキーの理論を元とし、パフォーマンスの概念を軸にした学習研究を展開するLois Holzmanは、『Vygotsky at Work and Play』の中でtheory of becoming(誰かになることとしての理論)ということを書いています。

彼女は例えば、ニューヨークのイーストハーレムに住む子たちに、NYの地下鉄に乗っているホワイトカラー層のビジネスパーソンなどの所作振る舞いを観察させて、それを模倣させたりします。それは「創造的模倣」という言葉で語られ、「他者を内包(incorporating the other)」していきながら行われる、Performing Identityを重視しています。

Holtzman曰く、発達とは「誰かであると同時に、誰かになりつつあること、そして誰かでないことの認識」を指します。「現在のわたし」が、創造的模倣を通したPerforming Identityによって、「誰か」になろうとすること、これは「自分が誰でないのか」を発見することになります。つまり「現在のわたし」と「誰か(今の自分ではない私)」を同時に見つめることになり、ここに発達の契機が生じると述べます。

大学生は、後のキャリアを志向し、そこに向かって発達や学習を繰り返していく存在です。そのための「イケテル大人」の観察や模倣を通した「自分ではない存在」のパフォーミング。「猿真似」ではない「創造的模倣」。是非、今回のように偶然会った「イケテル大人」の所作振る舞い、どんなところに面白がり、どんなリアクションをとり、どんな表情をするのか、是非創造的に観察してみてもらえればと思います。

そして、VygotskyとHolzmanに従い「頭ひとつ分背伸び」しよう!(being a head taller than you are.)大学生にとっては、企業での研究交流は非日常の経験かもしれません。その非日常の場で頭ひとつ背伸びしたら、次は、その背伸びした高さの地平が「日常」になります。昨日の非日常は、今日の日常。それを絶え間なく繰り返していくことで、どんどん、見たことがなかったワクワクする景色に身を投じることになるでしょう。

それこそが発達であり、学習です。

背伸びすることは苦しいし、知力も体力も精神力も消耗します。でも、1回こっきりのステージじゃ足りない、何度もステージをつくって、そこに立ってもらえればと思います。

それでは、2年間どうぞよろしくお願いします!

okabe lab 2013

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2013年度に3年生、4年生に進級されるみなさま、おめでとうございます。
2013年度「前期」の学部ゼミ活動の「予定」についてまとめました。後期は「卒展」も行いますが、まずは前期の予定のみ記載します。

《4年生》
各自の卒論の研究と就職活動を活動の中心に据えつつ、以下の活動の中で興味のあるものに参加して下さい。固定で曜日と時間を決めて、関係する論文や書籍の輪読/進捗報告/議論を行います。

《4年生・3年生》
4年生と3年生向けに、以下の調査研究1と2、また、実践活動1と2を組織します。3年生は、調査研究1と2のうち、軸足をおくテーマをひとつ選択して下さい。実践活動1のワークショップについては、研究室と関係の深い外部の企業、NPO、大学と企画するワークショップになります。参加して下さい。4年生は卒論や就職活動のスケジュールを鑑みながら、適宜参加するか否か選択して下さい。


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▶調査研究1
ワークショップのデザイン:ワークショップへの参加を通した越境学習調査・研究

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ねらい1:研究室と関係のある企業やNPO組織、他大学の学生を交えたワークショップへの参加を通して「経験学習」や「越境学習」についての意味づけをします。
ねらい2:ワークショップへの参加を通して、ワークショップをデザインするためのファシリテーション、ツール、ドキュメンテーションについて考えます。
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以下の文献について、担当者を決めて輪読します。
ワークショップと学び3-まなびほぐしのデザイン
苅宿俊文

ワークショップデザイン論―創ることで学ぶ
山内祐平他


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▶調査研究2
ファンカルチャーのデザイン:質的研究法を通した(ファンダム文化を中心とした)身近なコミュニティの文化心理学的調査・研究

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ねらい1:いくつかの文献の輪読を通して、どのような観点で文化研究が展開されてきているかについての知識を修得します。その上で、対象とするフィールドやテーマを選定していきます。
ねらい2:エスノグラフィという質的研究の手法について理解し、エスノグラフィを映像や紙媒体でドキュメンテーション化していく活動を行います。7月のオープンキャンパスで公開したいと考えています。
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ギャルと不思議ちゃん論-女の子たちの三十年戦争
松谷創一郎

少女と魔法 ガールヒーローはいかに受容されたのか
須川亜紀子

現代エスノグラフィー-新しいフィールドワークの理論と実践-
藤田結子他


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▶実践活動1:越境ワークショップへの参加
3年生・4年生・修士の学生が参加可能です。ワークショップの企画は、教員と企業の方々を中心に実施します。

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4月24日
・ケータイキャリア会社との研究交流会

5月〜
・コンサルティング/メディア&コンテンツ事業会社とのインターンシップ・ワークショップ(交渉・計画中)

6月
・食品会社との開発エスノグラフィ・ワークショップ(交渉・計画中)

5月または6月
・横浜のNPOとの関内フィールドワーク・ワークショップ(交渉・計画中)

この他にも、いくつか外部とのワークショップの予定が入ることが予想されます。
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▶実践活動2:越境フィールドワークの実践
《希望者のみ》
希望者のみ、学生コンペ「神奈川産学チャレンジプログラム」に参加することが可能です。アイディアコンペを通して、自らの力試しをすることができます。

MALL:経営学習研究所ラーニングイベント

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撮影:澤田直人(東京都市大学環境情報学部4年)


9月21日(金)の18時から21時に、MALL:経営学習研究所のラーニングイベント【現場を歩き、イノベーションを生み出せ!40代-50代ミドルの再挑戦と学び】が行われました。
ご参加いただいた方々、共催いただいたコクヨの皆様、本当にありがとうございます。


https://docs.google.com/spreadsheet/viewform?pli=1&formkey=dGR6WjdwdTIyZVFUcmpsd251MzhzSHc6MQ#gid=0
http://mallweb.jp/


富士通株式会社の加藤真さんをお招きし、加藤さんが推進されている、「様々なツールを用いながら、現場の問題を可視化し、問題解決を行う取り組み『フィールド・イノベーション』」に関するお話をうかがいました。
このイベントに関するtweetは、理事の牧村真帆さんによってまとめていただいております。


http://togetter.com/li/377805


今回のイベント、わたしはMALL理事として、かつ、イベントのロジスティクス全般のサポート担当として動いておりました。代表理事の中原先生の言葉ですが、MALLは「学び手をいきなりステージにあげて、シャバには戻れないようにしちゃう」。そんな組織ゆえ、今回もロジ全般のディレクションを行ったのは、私の研究室の大学4年生。公募で代表理事との面接を経て採用されたMALL広報担当で、MALLのウエブページ全般、また、イベント開催にも関与してくれています。そして、当日スタッフとして主体的に動いてくれた5人のメンバーも、私の研究室を中心とした5人の3年生と4年生。


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撮影:澤田直人(東京都市大学環境情報学部4年)


こうしたイベントを経験すると、学生スタッフは(学生じゃなくても)否が応でも鍛え上げられます。
ひとつのイベントを開催する上で必要なロジまわりの仕事は、ざっと上げると以下のような感じでしょうか。


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[告知関連] 告知のためのミーティング参加と告知文のアップ、募集開始の連絡。
[応募抽選] 応募状況のモニタリングと参加希望者からのメール対応、参加者の抽選と抽選結果メール文作成と送信、キャンセルメールへの対応。
[会場設営関連] 会場下見、担当の方々との打合せ。飲食物のケータリングの選択と発注。
[関係者調整] タイムスケジュールの作成、調整。講演者、理事、スタッフ、会場担当者、その他関係する方々への連絡。当日スタッフの依頼とスタッフミーティング開催。
[受付会計関連] 受付に必要な物品、参加者一覧などの作成。領収書の管理と会計報告、各種お支払い。
[報告関連] 毎日の進捗報告などの迅速なメール対応。

などなど、他にもいっぱい。
この1ヶ月半の間に、何時間この活動に従事したのか...頭が下がります。
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「どうせ会社に入ったらやらされることを何も今から...」だとか、「こんなことを学生がしたからって、学業や研究と関係ないし、大変なだけで何か得るものあるの?」といった声があるかもしれません。社会人からも、学生からも。


ただし私は、生きているうちにMALLのようなイベントロジを経験「できる」人は、ほんのひとにぎりだと思います。また、今回のような場に参加したり、組織したりする良質な大人と対話し、「憧れ」を持ち、「頭ひとつ分」上を目指すことは、重要な発達の契機になると考えます。


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《ケータリング mosiren》撮影:江川泰斗(東京都市大学環境情報学部3年)


ヴィゴツキーの活動理論に基づいてニューヨークで発達臨床のプロジェクトを展開するLois Holzmanは、学習者のステージを構築し、そこに「あげること」を通して、新しい未来に結びつく経験を提供しようとしています。


その活動の中で、Holzmanは、以下の点を重視しています。
1)舞台の権威を使うことで、参加者に日常と異なることをしてもよいことへのライセンスを与え、やってもよいことについての概念を拡張する。
2)各参加者が、関係をつなぐ活動のプロデューサーとしてであったり、新しい社会的関係を即興で演じるものとして経験できるようにする。


その上で、「人間の発達のプロセスは、発達『の』ステージを通過することというより、発達『のための』ステージを作り出すことであると言えよう。」と結論づけます。


今回のMALLイベントでの学生のハイパフォーミングな振る舞いもまた、良質なステージが相互構築された上でのものだったと考えます。例えば、理事のおひとり牧村さんは、シャバに戻れなくなったロジまわりの経験ある方なのです。牧村さんの前面サポートなくして、この成長のステージは構築できなかったと思います。また、理事の板谷さんと島田さんは受付に張り付いて、キャビンアテンダント直々の接客を伝授してくれました。中原さんは、誘導、案内、受付の応対の仕方についてしつこく伝達してくれました。


発達や学習のためのステージをつくりあげて、その俎上に載せることは、学習者個々人のアイデンティティを大きく揺さぶります。もちろん、学習者の方にそのモチベーションがなければ、何もおきません。学習者自身もまた、真摯にステージ構築に対峙しなければなりません。


こうしてはじめて、Holzmanの言う、非日常的な舞台(MALLのイベント)の権威を使うことで、日常とは異なる活動が許されるライセンスが付与され、活動のプロデューサーとしての各参加者との関係が構築されていきます。


何かステージをつくることで、学習者の日常は、非日常のイベントに向けて再編されていきますし、外界の見え方が大きく変わってくると思います。日常の外界のすべてが、舞台本番に向けてつながりのあるものとして見えてくるようになるのではないでしょうか。


ワークショップやイベントを企画し、それに学生を巻き込むということの意味はこの点にあると考えます。やってる時は疲弊しまくりですが、この心地よさは、クセになります。


また、ステージを企画しよう。

十人十色ワークショップ

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昨年末、ゼミの時間に法政大学の長岡健先生と、ゼミの学生さん3人に来ていただき、長岡先生考案のワークショップ『十人十色』を実施していただいた。


十人十色ゲームとは


長岡先生の十人十色ゲームのウエブページに記された「十人十色の解説」には以下のようにある。

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「十人十色ゲーム」とは、「他者の視座」に対する意識を喚起するきっかけとなる経験を提供するためにデザインされた、"ゆるやかな形式"のオープンソース・ゲームです。

ゲームのやり方はとても簡単です。「他人の好みの食べ物を予想する」、ただそれだけです。でも、実際にやってみると、予想はなかなか的中しません。...かなり親しい友人の選択を予想しても、その正解率は1/3程度です。それは、普段、友人たちがどんな食べ物を好んでいるかについて、それほど注意を払っていないことが影響しているような気がします。

3つの選択肢が目の前に提示されたとき、私はつい「どれにしようかな?」と考えてしまいます。つまり、無意識のうちに「自分」が私の思考の大部分を占有してしまうのです。...この、「自分」についての思考を優先してしまうという無意識の状態が、様々な状況において、他者とのコミュニケーションを難しいものとしているように思います。
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仲の良い人たちどうしでグループを組む。そしてメンバーのひとりが、教室から出て廊下で「選択」をする。例えば、「今食べたいパスタ」を「カルボナーラ」「和風めんたいこ」「魚介のトマトソース」の中から選ぶ。教室の中に残った他のメンバーは、廊下に出た「友達」が「選ぶであろうもの」を考える。


これを繰り返す、非常にシンプル(だけれども複雑)なゲーム。


仲のいい人が選ぶであろう「丼ぶり」を「親子丼」、「かつ丼」、「天丼」から選択することなんて、簡単そうである。よく一緒にいる人が選ぶであろう「おにぎり(の具)」を「梅」、「おかか」、「こんぶ」からひとつ選ぶことも、非常に簡単そう。教室に残ったグループのメンバーは、廊下に出たメンバーが選ぶであろうモノを一生懸命に話し合って、自信満々に項目に丸をつける。


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が、しかし。これが面白いほどに当たらない。正答率は、偶然と同じく1/3程度。


面白かったところは、教室に残ったメンバーがかなり自信満々に3つの選択肢の中から、ひとつをチョイスするところ。彼(女)らにとっての全う(そう)な理由とセットで。研究室で寝食をともにし、かなり行動様式や性格などを把握している「つもり」になっていたとしても、意外に、当たらない。当たりそうなのに、当たらない。「ラーメン屋に行ったら何食べる?」なんて、かなりの高確率であたりそうなのに。


ちなみに、ゼミの学生に「目玉焼きにかけるのは醤油・ソース・ケチャップ」、「ポテトチップスを選ぶとしたらのり塩・わさびマヨ・コンソメ」、「鍋をおごってもらうとしたらしゃぶしゃぶ・ふぐ・すき焼き」という3つのお題で小生の嗜好/思考もゼミの学生全員にあててもらった。が、目玉焼きで正答率が2/4。ポテチと鍋はどちらも0/4。正答率2/12。


ひくいっ。


...もっと学生とコミュニケーションとらないとね...┬|ω・`)ショボーン
ということではなく、このゲームを通して、いかに「とるに足らないように見えること」がコミュニケーション上大事なことであるか、ということを嫌でも意識させられる。この十人十色のゲームは明確なこたえを持つものではないし、意識変化を促すためのものでもない。参加者がそれぞれコミュニケーションについて考えるきっかけになりさえすれば、それでOK(なのだと私は理解しました)。


ファシリテーターの長岡先生も、そんな言葉とともに、問いかけるだけ問いかけてワークショップをしめたところ、ゼミのメンバーは各自バラバラに議論やらをはじめだし、混沌とした場が形成されることに。「こんなこと学んだよね!」と、予定調和にまとめなくなるワークショップ。あえて「脱・予定調和」的に投げかけるだけ投げかけて放りっぱなしにしちゃうのが、長岡先生のワークショップ/ファシリテーションの特徴。


その方が、気になって帰路の電車の中ひとり考えることもあるかもしれない。私が今まさにそうしているように、ブログに書いちゃったり、twitterにポストしてみることで解消しようとするかもしれない。そんな脱・予定調和的思考を前提にして物事と対峙していくことは、もしかしたらその都度的な創造性を高めるかもしれないし、もしかしたら「型」を無視することで「楽」な生き方を生むかもしれない。


可能性を感じさせるワークショップだった。
十人十色ゲームはオープンソース。来年度の講義でも実施してみたいと強く感じた。



長岡先生、長岡研究室のみなさま、本当にありがとうございました!


フィールドノーツ研究会

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新年あけましておめでとうございます。(・∀・)ノ



2012年、まずは「フィールドノーツ研究会」、俗称「勝手に『ウメサオタダオ研』」の企画を進めております。これは、日本科学未来館企画展「ウメサオタダオ展ー未来を探求する知の道具ー」を鑑賞し、感じた事を共有し、コメンテータを交えて学びを深める交流イベントです。東京大学の中原淳研究室と東京都市大学岡部大介研究室の共同企画となります。


http://katte2umesao.blog.fc2.com/



「人類学、またはフィールドワークという手法がもたらした学説の崩壊と再デザイン」について、様々な角度から考えて頂きたいと思います。「学説の破壊者」たる人類学的視点は、アンラーン(unlearn)=学びほぐしのよい機会になるかも?しれません。


参加者のみなさまには「ウメサオタダオ展」を鑑賞していただき、ワークショップ形式で展覧会を振り返るとともに、そのような人類学とは異なる学問分野でフィールドワークに従事する研究者を中心としたセッションも企画しております。そのプロセスを通して、フィールドノーツとは何か? そして、フィールドワークとは何かについて、先人の偉大な智慧に基づき、皆でディスカッションする機会を持ちたいと思います。



ちなみに、1月2日2:00amから【ETV特集】「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」の再放送がなされます。


http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605.html


ウメサオタダオ展は、2011年3月から6月まで、国立民族学博物館で開催されていました。その展示を鑑賞した企画者のひとり、中原淳先生のブログには、次のようにまとめられています。


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梅棹忠夫先生といえば、希代の人類学者にして、比較文明論、文明生態学を縦横無尽に 論じた「知の巨人」。
彼によれば、人類学の本質とは、下記のようなものになる。

人類学者は、つねに世界の各地におもむき、人間現象の様々なヴァラエティを探し出して、
それを極めて実証的な方法で研究し、記述する。

そして、それを、他の人間研究家たちの学説のまえに差し出してみせる。

人類学というものは、人類学以外の、人間に関する諸科学にとって、まことにイヤな存在であるかもしれない。どのような分野であれ、社会科学者、人文科学者たちが、自分たちの身の回りの人間を材料として研究し、その結果をまとめて人間に関するひとつのテーゼをたてると、それに対して、人類学者が、そのテーゼに合致しない実例を、世界のどこかから探し出してきて、つきつけるのである。そういう事態が、ほとんど例外なくおこるという覚悟をしておかなければならないのである。人類学者は、人間諸科学における「学説の破壊者」であり、「学説形成の妨害者」である。 (梅棹 1974)

なるほど、こうして見ると、学習研究においても、この事態は同様である。1980年代後半「情報処理アプローチ」あるいは「認知主義」という名のもとに追求されていた「人間の学習」に関する研究群が、いわゆる、「状況的アプローチ」とよばれる人類学の方法論を用いた研究群によって、強烈なアッパーカットを食らわされたことは、よく理解でき る。人類学は、「学習研究」においても、「学説の破壊者」の役割を無事果たした。
(nakahara-lab.net/blog/より)
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既に参加申込も〆切り、抽選を実施しました。
48名の定員をはるかに上回るご応募、ありがとうございます。あわせて、抽選に漏れてしまった方々、申し訳ありません。


当日は、水越伸先生(東京大学)、長岡健先生(法政大学)、染川香澄さん(ハンズオンプランニング)をお招きし、中原淳先生(東京大学)と岡部大介(東京都市大学)、そして参加者のみなさんとによるポスター/トークセッションを行います。


会場は福武ラーニングスタジオ。軽食をとりながら、オープンなディスカッションができればと思います。当日はust配信も予定しております。


この企画を仕切ってくれている東京都市大学環境情報学部岡部研究室の古川英幸さん、小林信明さん、安田駿一さんらとともに、新年一発目の企画を「怪しく楽しい」ものにしていきたいと思います!(・∀・)人(・∀・)

Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World

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カリフォルニア大学アーバイン校の文化人類学者伊藤瑞子さん、中央大学の社会学者辻泉さんとの共編著Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World(Yale University Press)、カバーデザインも決まりAmazonにも表示されました。

Mizuko Ito, Daisuke Okabe and Izumi Tsuji (Eds)., Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World. Yale University Press.

2章書かせていただきました。
Daisuke Okabe and Kimi Ishida. Making Fujoshi Identity Visible and Invisible, In Mizuko Ito, Daisuke Okabe and Izumi Tsuji (Eds)., Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World. Yale University Press. Pp 207-224.

Daisuke Okabe. Cosplay, Learning, and Cultural Practice. In Mizuko Ito, Daisuke Okabe and Izumi Tsuji (Eds)., Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World. Yale University Press. Pp 225-248.

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Introduction mizuko ito

PART I. CULTURE AND DISCOURSE
1 Why Study Train Otaku? A Social History of Imagination
izumi tsuji

2 Database Animals
hiroki azuma

3 Japan's Cynical Nationalism
akihiro kitada

4 Strategies of Engagement: Discovering,
Defi ning, and Describing Otaku Culture in the United States 85
lawrence eng


PART II. INFRASTRUCTURE AND PLACE

5 Comic Market as Space for Self- Expression in Otaku Culture
hiroaki tamagawa

6 Otaku and the City: The Rebirth of Akihabara
kaichiro morikawa

7 Anime and Manga Fandom as Networked Culture
lawrence eng

8 Contributors v. Leechers: Fansubbing Ethics and a Hybrid Public Culture
mizuko ito


PART III. COMMUNITY AND IDENTITY

9 Making Fujoshi Identity Visible and Invisible
daisuke okabe and kimi ishida

10 Cosplay, Learning, and Cultural Practice
daisuke okabe

11 The Fighting Gamer Otaku Community: What Are They "Fighting" About?
yoshimasa kijima

12 "As Long as It's Not Linkin Park Z ": Popularity, Distinction, and Status in the AMV Subculture
mizuko ito

...で、この正月休みは、この日本語版出版のために、アメリカのファンダム文化について書かれたAMV、ファンサブ章などなどを鋭意和訳中。年越し仕事、がんばろう。

Make Tokyo Meeting*野火的活動研究会

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12月3日の土曜日、東京工業大学で開催されたMake Tokyo Meeting 07に研究室の4年生が出展しました。学生室を共有している小池研究室の学生と並びで。Gershenfeld(2007)によって『ものづくり革命』が著されてから、「個人の、個人による、個人のためのものづくり」に根差した「パーソナルファブリケーション」の活動が盛んになってきています。

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この、ものづくりの祭典であるMakeにはエコノミスト誌も着目しており、Makeのブログにも、以下のような引用が掲載されています。
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Makerムーブメントは、デジタルカルチャーに対する反応であり、副産物でもある。いくつもの流れが収斂して実現した。新しいツールや電子部品の登場で、物理的世界とデジタルの世界を簡単に安価に融合させられるようになった。インターネット上のサービスやデザイン用ソフトウェアを使うことで、開発や設計図の公開も簡単にできるようになった。毎日、コンピュータの画面で「ビット」と向き合ってきた人たちは、物理的な物を作る喜びに目覚め、異なる分野の愛好家たちと、現実の世界で、直接触れあうようになっている。今はまだホビイストの領域に止まっているが、Makerムーブメントの衝撃は、ずっと遠くにまで響くことになるだろう。
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http://jp.makezine.com/blog/2011/12/makers-make-the-economist.html

Makeという場は、非常に興味深い。展示しているブースの数は、激しくおおよそで200組くらい(チェックしていませんので、おおよそです)。どのブースも技術力が高いのに、「新奇性」や「学術的意義」のような観点を度外視した作品ばかり。消費の対象としてのモノをつくろうとるすのではなく、「つくること自体を消費している」ように見えました。そして、制作物の意味や有益性を問うこと自体ナンセンスなことのように感じました。この「つくる消費」、そしてそれを織り成す野生のプロシューマー(生産消費者)集団は無限に魅力的。その意味でMakeという場は、非常に興味深い場だと思います。

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Makeの後、Makeに出展した研究室のMakersとともに、Makeに出展していた方々にインタビューを重ねています。例えば、ヒューマンインタフェース学会やらバーチャルリアリティ学会などでも「きちんと」発表しているある大学生Makerは、そんな「まっとうな活動」の「ストレス解消」のためにMake向けの電子工作をしていると述べていて印象的でした。学会は学会できっちり研究発表(学術的な活動を心底尊重しながら)、そのかたわら、学会発表のネタにはならない「表現」をMakeで発散。また、自分で積極的なものづくりには手を染めないけれども、クリエイターとして活躍していけるような風潮へのアンチテーゼとして、自分たちは「ものづくりはやめない」とも述べています。Makeという場は、いくつかの「まっとうな」カルチャーとの相互的な関係で構成されているように感じ取れます。

そんなことをやんわりと考えていながら、12月17日の土曜日に、東京都市大学の上野直樹先生と、筑波大学の茂呂雄二先生主催の「第2回野火的活動研究会」に参加しました。野火的活動(wildfire activity)という言葉は、『ノットワーキング』(山住勝広・ユーリアエンゲストローム著)には以下のように記されています。

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...それは、「アメーバ状(amoeba-like)」や「野火(wildfire)」と表現できるような、集合的活動における拡張的学習である。スケートボーディングやバードウォッチングは、ある場所から消えたかと思えば急に別の場所で出現し活発に成長していったり、同じ場所でも一定の潜伏期間の後、出現・成長していったり、というように、独自な能力を持っている。さらには、...ひとつは、それらがレジャーと仕事とスポーツとアートを独自に融合したものであることであり、もうひとつは、それらが広大な起業の機会を提供しながらも決して商業的な動機には支配されず、完全な商業主義を絶えず拒み続けてきたことである。
いずれにしても、エンゲストロームが「アメーバ状」や「野火」と表現しているような拡張的学習の新たな形態は、...学び、遊び、交流、仕事といった活動がハイブリッドに融合し、活動の対象がオーバーラップしていく中で、学習が網の目状につながっていくこと。すなわち、越境する拡張的学習が、そこに生起してくるのである。(p. 37-38)
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野火的活動研究会には、校務の関係で後半1時間半のみの参加となったが、Makeという場を考えていく上で非常に有意義な観点を得ることができました。
まず、Makeという場を考える上で、(1)「ハードウエアのオープンソース化」(Arduinoやブレッドボードのような[誰でも電子工作に着手できる]ハードウエア)と、それを取り巻くソフトウエアやWebでの情報)は重要な観点になります。上野先生によれば、「ハードウエアのオープンソース化」は、メディアラボ所長の伊藤穣一さんも語っています。
https://plus.google.com/u/0/115020053723807024151/posts/ZeoA8cWWJwg
「ハードウエアのオープンソース化」は、TK-80の話にも通じるのかもしれない...。

それと、(2)昔からギークやオタクにみられる「ソーシャルなコミュニケーション」。ものづくり文化を見ていくうえで、野火的活動研究会で教えてもらった以下の2点が面白そう。
a)ピアプロダクション
ものづくりにおいては、共同でものを創るという「新しいネットワーク」のありかたが「当たり前」になっている、またはユーザ(でありプロデューサーが)意図的にそういったピアプロダクションのネットワークを創っていることがユニーク。
b)オブジェクトセンタードソーシャリティ
オブジェクト=ものを中心とした社会的なつながり=ソーシャリティという文化的土壌が、エンゲストロームの言う「野火(wildfire)」的に「好きな者どうし」をつなげてます。またそれは勿論、arduino/ブレッドボードの登場も大きい。

上記のことがらによって、「作ることから疎外されている状態」から解放されているという論点も研究会の中ではでてきました。ハードに限らず、ソフトウエアも相当解放されているから、誰でもやろうと思えばものづくりができる状態になっています。

今後は、こういったハードウエア/ソフトウエアのオープンソース化について、どういうふうに歴史的に生じてきたのか、Makeコミュニティのメンバーにインタビュー調査を継続してみたいと思いました。大学院に進学する学生さんたちとともに。モノと人と場の「ソーシャリティ」がくわわったことによる、ものづくり文化の再編、「パーソナルファブリケーション」の歴史と文化的特徴の論考ができればと思います。

第8回神奈川産学チャレンジプログラム

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研究室所属の3年生4チームが、神奈川経済同友会による「第8回神奈川産学チャレンジプログラム」に参加していました。12月16日にその表彰式が行われました。参加チーム数は全体で16大学220チーム728人。そのうち約60チームが入賞。

神奈川産学チャレンジプログラムとは、神奈川県に拠点を置く企業がそれぞれテーマを提示し、それに学生がレポートとプレゼンテーションでこたえていくプログラムです。ちょっと特殊な「学生コンペ」です。
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〔神奈川経済同友会からの案内〕

本プログラムは、社団法人神奈川経済同友会の会員企業が、日常の経営課題の中から実践的な研究テーマを提示し、これに対し学生が能動的に研究し解決策をレポートにまとめるもので、提出された研究レポートは企業による厳格・公正な審査が行われ、優秀な研究については学生・大学関係者・企業関係者合同の表彰式にて、賞状・賞金が授与され、その栄誉が称えられるものです。
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研究室の4チームのうち、2チームが最優秀賞、2チームが優秀賞を受賞!約60/220チームの入賞率の中、100%の入賞、おみごと!5月から半年かけて20歳21歳の貴重な夏休みもぼうにふって頑張った結果。すばらしい。

学部全体でも7チームが入賞。うち4チームが最優秀賞。最優秀賞は全体で22チームのみなので、打率高い!

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【最優秀賞】
株式会社神奈川銀行「お待たせ時間を窓口サービスに変えるには」
メンバー:松浦李恵(リーダー)澤田直人 鷹箸優 鰐淵久美
概要:20代30代の男女に銀行利用に関するインタビューを実施。この世代は、自身が住む街への興味を持ち、待ち時間を情報端末を使い消費する、といった生活情報が得られた。このデータを踏まえて、街や人への関心を引き起こすタブレットPCアプリ「まちじかん」の設置を提案した。まちじかんとは街の魅力が表現された「ひと」をタブレットPC上で見ながら、待ち時間を過ごしてもらうサービスである。このように、まちじかんは銀行のお待たせ時間を地域参加へと導く時間としてデザインする提案である。

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株式会社京急システム「女性が沿線に住みたくなるような、京急線の駅における画期的なITサービス」
メンバー:石川千尋(リーダー)重野菜央
概要:実際に京浜急行を利用している女性ユーザたちにインタビューを行った。調査の結果、京浜急行はユーザたちにとって「まち」と同意義であること、そしてユーザたちは京浜急行で働く駅員とコミュニケーションを希求しているということが分かった。これらのことから、ユーザと駅員とがコミュニケーションを重ねることによってその町に愛着を抱くようになる「駅鳥」アプリを提案した。「駅鳥」アプリは、ユーザと駅員とが手紙という形で相互のやりとりを行い、その手紙を京急全72駅72種類のコスチュームを着た駅鳥が届けるというものである。駅員からの手紙をよりリアルなものにするために実際に駅員へのインタビュー調査を行い、駅員の素朴な日常を手紙に反映させた。

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【優秀賞】
株式会社京急アドエンタープライズ「横須賀・三浦エリアにおける新たな「名物催事」の立案」
メンバー:鈴木由多加(リーダー)日高佑介 三谷昂平
概要:名物催事を考案する過程において城ケ島を訪れ、現地の人たちの文化に入り込むために「フィールドワーク」を実施。城ケ島の島民と何度もインタビューを重ねて信頼関係を築くことで、城ケ島の島民の中に眠っている「物語」を聞き出すことに成功した。東京都墨田区のアートイベント墨東まち見世2011の企画の1つ木村健世氏の『墨東文庫』に持基づき、城ケ島の島民の中に眠っている物語のエピローグのみを巻物やポスターを通じて観光客に提供し、観光客と城ケ島の島民との間でコミュニケーションが生まれる仕掛けを考案した。

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株式会社京急ストア「少子高齢化に伴うご高齢のお客様に喜ばれる店舗作り」
メンバー:荒木夏実(リーダー)鄭 會雄 伊藤遥 小澤朝美
概要:高齢者の買い物や私生活の観察、スポットインタビュー等のエスノグラフィーの調査から、健康的で地域活動などに活発に参加し、他者との繋がりを求める高齢者の存在を発見。そして高齢者にサービスを提供するのではなく、高齢者が参加できる場を作り上げることを目的に「TASKETETTOプロジェクト」を提案した。これは高齢者の"老婆心"を刺激することで高齢者の社会へ参加したいという「参加欲求」と、つい他者に口出しをしてしまうという「貢献欲」を利用し、他者とのコミュニケーションを生み、この2つの欲求を満たすことで高齢者に満足をしてもらうという提案である。                                        
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http://www.yc.tcu.ac.jp/news/20111118.html

フォトモ!

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10月13日(水)のゼミの時間に,野毛,日ノ出町,伊勢佐木町,桜木町,みなとみらい,関内エリアで「フォトモ!」作成を実施してみました.3年生の安田駿一くん企画のフィールドワークとなります.



フォトモは,糸崎公朗さん・森田信吾さんの実践です.フォトモは,写真プリントからオブジェクトを切り抜いて,立体的に再構成したものです.以下のURLが分かりやすいです.


http://www.kousakusha.co.jp/RCMD5/photomo04.html


http://mati-dukuri.blog.eonet.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/07/15/jnh2ubmc.jpg


14時に野毛の地区センターに集合し,そこから4グループでスタート!18時に再集合するまで,ロケハンして,撮影してもらいました.夕方以降の撮影は厳しかったので,実質17時頃までのフィールドワークとなりました.18時から21時までは,野毛地区センターで実際にフォトモの作成(3時間お借りして1100円!).



最優秀作品:横浜橋通商店街のフォトモ
安田駿一・佐々木慎平・丸山亮・中島和成チーム


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横浜橋通商店街のはじからはじまで,10歩ずつ直進しては同じ高さでシャッターを切る.それを80回繰り返した中から10枚の写真を選択したフォトモ作品.激しく地味な作業だけれども,その結果があらわれていると思います!普段の日常的な景観が,ちょっと違って見えてくる,そんな写真の「遊び」.

墨東フォトサファリ

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墨東まち見世2010でティトス・スプリーが実施している「フォトサファリin京島・向島」.これは,墨東エリアをフィールド=島にみたてた写真による探検旅行.


http://comachi2010.blogspot.com/


「独特のスケール感を醸す人形を媒体として,墨東エリア独自の住環境を子どもの視点から再発見する」ことがこのプロジェクトの目的である.9月29日の水曜日,フォトサファリをゼミの中島和成君企画で実施した.なかじ=中島君は,ティトスのプロジェクトのサポートを行っており,子どもだけではなく大人でも実施してみたいといいうことから,この企画がスタートした.



ゼミのメンバー,そしてアーティストの木村健世さん,北條工務店の北條元康さんとともに,4つのグループに別れてフォトサファリを実施!


ゼミ生はご自慢のフィギュアをまちに埋め込み,写真を撮る.フィギュア目線でまちを見ることで,いつもとは異なるまちの見え方を経験するフィールドワークとなる.このような被写体と背景の設定について,写真部の2年生に聞いてみた.「写真部では,写真に小物や小道具を意図的に入れてアクセントにする実践を行う」とのこと.また,「ミクロな視点で大小関係を錯覚させることも行う」とのこと.そしてフォトサファリは,「入れこんだ小道具=フィギュアが外界を見つめる視点の役目も果たす」という,二重構造になっているはず!以下,集まった作品とタイトルを列挙.


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玉置友季子・坂下泰代 『休憩中』



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古川英幸 『サーチライト』



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木村健世 『Will you see electric sheep's dream with me............tonight?』



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大間知卓 『一皮剥けてみたい...』



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鈴木恭平 『行って参ります』



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田中麻子 『湯で揚がり 』



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渡部拓郎 『露天』



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瀬谷昂宏 『好敵手の墓場』



※写真掲載不可能
小林信明 『墨東beautiful』



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丸山亮 『an emergency landing』



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渡邉大晃 『三分審(さんふんしん)』



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木谷理彩 『今日は本気モードで(ラジオ体操に)いくぜっ!』


事例研=3年ゼミ発表

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事例研=3年ゼミの発表を行います.もし興味のある方がいらっしゃいましたら,是非いらして下さい.当日ひょこっと参加して聞いてもらってかまいません.入退室自由です.

日時:10月27日(水)13:15-16:10
場所:32K



今年の事例研では,神奈川県経済同友会主催の「第7回神奈川産学チャレンジプログラム」に取り組む形で進めてきました.これは,神奈川県に拠点を置く企業がそれぞれテーマを提示し,それに学生がレポートとプレゼンテーションでこたえていくプログラムです.いわば「学生コンペ」です.

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〔神奈川経済同友会からの案内〕

本プログラムは、社団法人神奈川経済同友会の会員企業が、日常の経営課題の中から実践的な研究テーマを提示し、これに対し学生が能動的に研究し解決策をレポートにまとめるもので、提出された研究レポートは企業による厳格・公正な審査が行われ、優秀な研究については学生・大学関係者・企業関係者合同の表彰式にて、賞状・賞金が授与され、その栄誉が称えられるものです。
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今年はゼミの学生が5チームに分かれ(一部4年生も参加しています),それぞれのチームでテーマを選択し,それぞれのやり方でこのプログラムに取り組んできました.以下,27日の発表順に沿って,選択したテーマの趣旨と内容について記載します.



13:15-13:50
01 NTT東日本
テーマ:大学生の学業や日常生活に役立つwebサイト活用術

趣旨:NTT東日本は「安心・安全なコミュニケーション」を取り組み方針に掲げ、ネット環境を皆様にお届けすることで社会のIT化の一端を担っております。IT化が進む過程でwebサイトも飛躍的に進化してきました。コミュニケーション・ツールである「Twitter」やSNS、検索エンジンの「google」、「itunes」などの音楽ダウンロードサイトや電子書籍ダウンロードサイトなど、私達のライフスタイルを大きく変えてしまうほどの影響を与えてきました。このような状況のなか、どのようなWebサイトを活用して日常生活の利便性を高めたり、学業の補完ツールとして利用しているのかを具体的なサイト例を用いて説明し、また、活用前と活用後の変化や利用ケース別でのサイトカテゴリーなど、実例調査等の事実に基づく報告を期待しております。

内容:
1. 学業や日常生活にて利用するWebサイト例
2. 1.で挙げたサイトの利用例、効果、変化
3. 学業・日常生活で利用したいと思う新たなWebサイトモデルの提案


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13:50-14:25
02 京急パシフィックホテルズ(2)
テーマ:泊まりたくなる客室の提案

趣旨:景気が後退し,レジャー需要の低迷する昨今,ホテル事業において増収を図ることが困難な状況下にある。そこで,お客様が宿泊してみたいと思えるような客室の提案を,学生の視点から見て提案していただきたい。

内容:レジャー産業を取り巻く環境を調査・分析したうえで,お客様にとって魅力的な客室の提案をしていただく。ただし,収支面での検証も行い,利益が必ず出るようなプランの提案をしていただく。
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14:25-15:00
03 神奈川銀行(2)
テーマ「かなぎん」に求められる地域密着型のサービスとは

趣旨:お客様のニーズも多様化する中、地域金融機関として求められるサービスを、お客様の目線での提案を求める。

内容:他行との差別化を図り、お客様目線からの地域金融機関に求められるビジネスモデル、スタイルの提案を求める。

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15:00-15:35
04 京急アドエンタープライズ 
テーマ:羽田空港国際ターミナル駅(仮称)開業に伴う外国人旅客向けPRツールの作成・展開について

趣旨:2010年秋、羽田空港再拡張に伴い、国際線の増便就航が予定されています。海外からの訪日旅客へ、羽田を基点とした日本、特に京急線沿線の魅力を伝えるツール展開をお考えください。パンフレット、映像、web展開など、多くの旅客にアピールできるプランであれば手法は問いません。

内容:以下の点に留意し、提案内容をお考えください。
1.ツールの展開方法(どうやって相手に伝達するか)
2.タイアップ企業または団体(行政機関など)の可能性
3.効果(訪日旅客の嗜好や動向を理解した内容であること)

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15:35-16:10
05 川崎信用金庫(2)
テーマ:金融機関が取り組む子供向け金融教育について

趣旨:各種金融取引において自己責任が問われる時代。子供の頃からしっかりとした金融教育を受け、お金に関する正しい判断のできる大人になってほしい。その一助として金融機関の取り組む金融教育を提案いただきたい。

内容:身のまわりのお金の流れ。生活の中でお金を得、使い、貯め、借りる等、人が歳を重ねる中で直面する場面等を用いて、小学生から高校生までを対象とした「お金に関する授業」を提案していただきたい。

※イラスト準備中

神奈川新聞に『おしょくじ』掲載

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ゼミの4年生瀬谷昂宏さん,大間知卓さんが取り組んでいる「おしょくじ」が,神奈川新聞に掲載されました!゚+。(。・ω-)(-ω・。)ネー。+゚


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神奈川新聞web
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1010170010/

工場夜景萌えクルーズ

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昭和電工(南渡田運河)


「観光」「文化」「沿線」といったキーワードのプロジェクトに取り組んでいるゼミのグループの現地調査の一環で,京浜工業地域の夜景クルーズに参加してきた.工場夜景クルーズはいくつかの船がでているが,僕らが乗船したのは山下公園から出港するペガサス号.いくつかの運河を往来しながら,川崎の工業地帯との間を往復する.


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湾岸線を通るたびにチラ見して悶えていた工場を,海の側から眺められるという,そんな贅沢な経験.海に聳える工場と対峙すると,アニメのような仮想現実空間に身を委ねているようにさえ感じる.そんなシーンがあったか分からないけど,少佐がぴょんぴょん飛んでそう.


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工場夜景クルーズ,40人程度の規模の遊覧船に,25人ほどの乗客がいた.30代〜50代の女性の方が多かったように思う.類似のクルージングが数多くあるので,ひっそりと「観光資源」になっているようだ.


京浜工業地帯をGoogleMapのサテライトで眺めていると,マザーボードのような美しい光景が飛び込む.ジャンクションにしても工場にしても,巨大建造物には惹き付けられる.単に合理的な設計をした結果なのかもしれないけれども,あまりに無機的すぎるそれは,日常を飛び越えるのにはもってこいだった.


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東亜石油(塩浜運河)


「どーん」と響く感動....攻殻機動隊にでてきそうな画だ.

『おしょくじ』常設へ

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アーティストの三宅航太郎さんと一緒にやっている『中川おしょくじ』プロジェクト.これまで単発イベント的に行ってきたけれども,ここにきて常設に向けて動きはじめた.ご快諾いただいたのは,都市大バーガーを提供してくれている「ローラーコースト」.来週の後半からは,ローラーコーストでおしょくじを引いてもらえるようになる(はず).


『おしょくじ』という実践は,これまで岡山,向島,谷根千,中川でシステム構築されてきた,いわばオープンソースのシステムアートである.アートなのに,オープンソース.最低限のレクチャーをうければ,基本的に誰でもどこでも街にインストールしていいことになっている.


アートなのにオープン,これは刺激的だ.とはいえ,同じOSを組み込めばすべての街でおしょくじが機能するわけでは決してない.システムは,その街の特徴にあわせてマイナーチェンジしたり,更新していく必要がある.単純に同じものをインストールすることは当然できず,誰にアクセスして,誰と仲間になって,誰を説得して...という特有の実践が発生する.


そして,こういった実践を通して,必然的に街とゼミ生(大学生)とのコミュニケーションが生じることなる.「おしょくじって何?知らない.」「こういうことならいくらでも協力するよ」「こんなのは今までさんざやってきたんだよ」「私だったら学生コンペにしてこのプロジェクトを作り直す」...といったようなやりとりが,いろんなところで生じる.


現在練っている「墨東大学」の企画において,慶應大学の加藤先生は「墨大はコミュニケーションを誘発する仕組み」だと言う.おしょくじのような個別のアートもまた,街と学生とのコミュニケーションを誘発する「仕組み」として捉えていけるように思う.


まずは常設に一歩近づけたので嬉しい.

ルイーダの酒場

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『ルイーダの酒場』は,ドラクエに登場するあの酒場を六本木に具現化したコンセプトバー.外をうろうろしていると,「旅人の方々ですか?」と声をかけられ,level20以上であることを確認された後「マヒャドブルー」(800G)他を注文し,パスタに「パルプンテ」の呪文を唱えて紫色の澱粉をふりかけていただく.先払いのお会計は「愛と信頼のゴールド銀行」にて.「ただの布切れ」で手を拭いていると,ルーラを使ってルイーダの弟子が登場する...


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ルイーダの弟子のトークが,かなり洗練されている印象を受けた.例えばメイド喫茶に比べて「共通の話題」が分かりやすい.コスチュームも「ルイーダの酒場」のウエイトレスそのものなので,「給仕」を受けるという意識よりも「コミュニケーション」の方に目が向く.


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「ドラクエ」として劇場化され,ところ狭しと記号化された空間は,そこにいる人たち=ぼくら旅人を「演技者」にしてしまっていたように思う.ディズニーランドがそうであるように,パルコまで続く公園通りがそうであったように,そこにいる人たちもまた,その「舞台」を構成するための重要なアクターでありアクトレスとなるだろう.ぼくらはそういった場に期待される役割を演じるために=役割を消費するために,こういった場に出向いている.ドラクエの衣装は着ていかないまでも,ドラクエの知識にあふれた店員さんとオタク的なドラクエ話をすることで一定の舞台を作り上げる.単に受動的にモノを消費するのではなく,主体的に振る舞うことで劇場化,舞台化すること,このことが快楽を生む.

墨東大学

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今年もまた,向島エリアにちょくちょく出かけている.昨年度からかかわらせてもらっているアートイベント『墨東まち見世2010』の企画会議に参加するため.昨日も会議の場である「旧アトレウス家」へ.


昨年度は,主に学生のフィールドワーク,アーティストサポート,ウエブ環境構築などを担当してきた.今年度は引き続きこれらもやりつつ,アーティストの木村建世さん,慶應義塾大学の加藤文俊先生と「ユニット」を組んでアート実践に従事することになった!


ぼくらがやるアートなので,その活動の骨子は「場づくり」と「コミュニケーション」.向島との関わりを通して意識されるようになった,向島の「昼間人口を増やす」取り組み.この点も視野にいれた加藤先生発案の実践をデザインしていく.その内容は,「墨東大学」.向島エリア全体をキャンパスに見立てた,「くそまじめな遊び」.大学のロゴ入りTシャツも作るし,米国に大学にありそうなペナントやマグカップも「校章」入りで作成.


授業料入学金ゼロ,誰でも参加できるけど,卒業までは向島エリアで開催される「変な授業」を124単位取得しないといけない.しかも3月には卒業制作をしなければならない.もちろんシラバスも作成するし,まちの「教授」陣も授業をするし...といった壮大なパロディ.


...もしも企画が通ったら,再度おしらせいたします.うまく企画が承認されるといいけれども.


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...ノラ猫が多い向島.墨東大学のメインキャラクターも,やはりノラ猫だろう.

自画持参第0.5回

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19時に青山のカフェに集合して,加藤文俊先生,長岡健先生主催の「自画持参第0.5回」に参加してきた.


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「自画持参」は、コミュニケーションについて考えるためのワークショップです。飲み物持ち込みの集まりやパーティーを指す「BYOB」Bring Your Own Bottle (Beer)から発想して名づけました。(http://jigajisan.net/より)
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通常のワークショップやシンポジウムなどでは,話し手は事前に「決まって」いる.「自画持参」では,誰が話すのかはその場にならないと分からない.直前にガチャガチャで決めるから.それどころか,話すテーマや内容もその時にならないと分からない.これまたガチャガチャで決められる.


すなわち,決まりきったテーマに対して決まりきった人が予定調和的に話をするシンポジウムではない.ガチャガチャで出てきたテーマについて全く知らない人が話し手になることもあるし,自分が話したいネタを人に「盗られる」場合もある.忙しい中せっかく集まったのに,話題提供をせずに帰る,そんなもやもや感を経験する人もいる.


自画持参のすすめかた.


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参加者は自分の名前を記入してカプレルに入れてnameのボックスへ,また,その場で即興的に考えたテーマもカプセルにいれてthemeボックスへ投入.司会者か直前の話者がテーマカプセルを1個ひき,お題が発表されると,2分間の思考時間が付与される.その間にノートに話す内容をまとめてもいいし,ぼーっとしててもよい.2分後,話者カプセルから1つひかれて,話者が決定する.


こうしてはじめて,話し手とその人が話すテーマが決まることになる.話者になった人は,どんなテーマだろうと3分間話す.


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今回は,名前の記入方略も場当たり的に決定された.1つは自分の名前を書くとして,もう1個,参加者のうち誰か好きな人の名前を書いて話者の「当選確率」を変えることになった.またテーマについても,脱・予定調和を目指して場当たり的に決められた.


こんな自画持参.まずは,Bring your own...が示す通り,日頃から「ネタ」に敏感になっておくことが期待される.そして,いきなり3分間の話を構成するというある種の極限状態をうまく「さばく」ことも期待される.


実際に話者をやってみると,人間がいかに「コミュニケーションをしてしまう」存在かを強く意識する.みんな「無茶ぶり」された人(私)の話に対して,相槌をうち,こちらに視線を向けてくれる.無茶ぶりされた私をなんとかしようと言語/非言語コミュニケーションを通してその場をなんとか「プレゼンテーション」の場として成立させようとしてくれる.こうして人間は「コミュニケーションを成立させようとしてしまう」.


さらに今回は,「脱・予定調和」を参加者みんなが強く意識することで,「脱・予定調和」という「予定調和」が生じていたのが興味深かかった.場が予定調和的な方向に行こうとすると,それを遮ったり,修正したりする.これはなかなか難しい.予定調和はいかんという予定調和にハマり,それを超越するにはどうやら異なる場のデザインが必要そうだ.


自画持参は,ゼミで行っても,思考や場をなんとかやりくりするトレーニングとして面白い.

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