December 2008 Archives

ポケモン3D

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ワーナーマイカルシネマで3Dのポケモン映画を上映していたので、みなとみらいのワールドポーターズまで行ってきた。LAを訪れたときに映画館を覗いたら、3D映画を結構目にした(言語に不安があるので観てはない)のを覚えている。映画館自体にほとんど足を向けないので知らなかったが、予告編を観ると日本でも3D映画が割と普及しているようだ。

ポケモン映画の内容は、子ども向けのほのぼのしたもので時間も短い。セル画的なアニメなので、3Dもそれほど効果的ではなかった。舞台の背景のような絵の前に、ピカチュウが立っているように見えるもの。ただし、予告として放映されていた3D映画は、興奮する映像だった。

家庭用の3Dテレビもでてきている。エンタテイメントでは3D映像をこれまで以上に目にするようになるのかもしれない。

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はこだて未来大学

はこだて未来大学の、ナンブラボ@FUNでおなじみの南部美砂子さんと町田でお会いした。2009年2月に非常勤ではこみにお邪魔するので、その打ち合わせを兼ねて。

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昼食を済ませてから『中野屋』という和菓子屋さんが経営する喫茶店に移動した。そこで伺ったはこみのデザイン系の志向/思考は非常に面白そうだ。南部さんは認知屋であり、実験手続きや調査法に精通している。インタフェースデザインであれなんであれ、デザインには評価がつきまとう。その評価の際、デザイン系の研究室が声をかけるのが南部さんの研究室のようだ。

どういう実験でデザインの良い点改良点が指摘可能となるのか、どういうアンケートの組み方が効果的な評価となるか。このあたりの質問がとんでくるわけだ。

認知屋とデザイナやコンピュータサイエンスなどの人の融合がうまくいっているように見える。はこみは何年か前の認知科学会で訪れたことがあるが、その際も人の導線やコミュニケーションを考えた場づくりや建築に驚かされた。現在それがどう変化しているのか、2月に訪れるのが無限に楽しみになってきた。

体験と学び研究会

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東京都立大の文野洋さんが中心になって開催している「体験と学び」研究会に参加した。場所は東京都立大/首都大学東京。同テーマで教育心理学会のシンポジウムを2年連続開催している。ワークショップや体験型の学習場面で生じる相互交渉、またはそこでの「学び」とはどのように見て取ることができるシロモノなのか、このような観点でシンポジウムを続けています。

ユニークなメンバーがそろっているので、学会以外でも定期的に集まって研究報告やそれぞれの悩み相談を行っています。今回は私が今取り組んでいる「コスプレイヤーの文化的実践」に関する研究の論文化に関する悩み相談をさせてもらいました。

簡単にいえば、自分の書いた文章に自信がないから揉んでもらう場。事前に文章を読んできてもらって、さらにプレゼンして、コメントをもらう場。議題は、「漏れのこの拙い文章、どうやったら論文になる?」というもの。

メンバーには来年から修士課程の大学院生になる方々もいる。学術研究とは協働的に編まれていくものである、という舞台裏や共同体を彼らに見せてしまうのは、悪くない実践だと思います。(単に私の分析センスのなさが露呈されただけという場合もありますが。)

識者の方々のおげで、いくつかの勘所が見えてきた。
コスプレイヤーも、マスメディア受けしたり「一般の男性」に評判のよいコスプレをよしとせず、むしろコスプレ共同体内の少人数ながら「いけてる人たち」からの評価を常に意識している。研究も似た側面が少なからずあり、少数ながら専門的な背景をもった人々からの評判や価値付けが非常に重要なものとなる。研究もサブカルも、実践や共同体という観点で見ると非常に似通った面が見えてくる。

大寒波のためか凍てつく寒さの中、南大沢の養老へ移動。きゅうりの一本漬けよりも安いまぐろブツ刺身(250円)に舌鼓を打ちながらの忘年会。無尽蔵に注文しました。よい忘年会で締めくくることができ、楽しかった。

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とりまとめしてくださっている文野さん。この日はお子も登場。

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横浜国立大学教育人間科学部の松田尚之さん。来年度からめでたく横浜国立大学大学院修士課程にご入院。

デザインド・リアリティの書評

海洋科学高等学校の若林先生のブログで拙著『デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学』を紹介していただいた。

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若林先生は「納得研」(納得研究会)のメンバーでもあるが、実は今年の夏に慶應義塾大学SFCで行われた「メディアリテラシー研修講座」でもお会いしていた(そのときはきちんとお話できていなかったけれども)。

若林先生は船舶の機関に関する科目とともに、(高校の)情報化も担当されている。教員になる前は先日の納得研を開催した大成丸に機関士として乗船されたこともあるとのこと。

教育の業界の方に本書を読んでいただき、かつ書評までブログに掲載していただいて、非常に光栄です。佐伯先生の帯「教え・学び・実践をデザインする全ての人へ」にもあるように、教育や学習とは何なのか? なぜ教育や学習が必要なのか? といったことと常に向きあう実践者の方々の手にもとっていただければと考えております。

若林先生、本当にどうもありがとうございました!

湘南道草プロジェクト

21日の日曜日に、FM横浜との共同企画「湘南道草プロジェクト」を実施した。ラジオ番組We Love Shonanとのプロジェクトで、パーソナリティの呼びかけによってリスナーの行動を誘発しようというもの。

企画は「鎌倉の御成通り商店街でペットボトルキャップを集めてワクチンと交換する」というもの。こう書いてしまうと簡単な企画だけれども、番組スタッフの関心、パーソナリティの関心、リスナーの関心、商店街の関心、こちらの関心、などなどが絡み合い、交渉した結果帰着した「メディア・イベント」である。

パーソナリティは、「ペットボトルのキャップの回収を御成通りで行っている」ことをリスナーに呼びかける。それを聴いた、比較的近所に住んでいる、もしくはたまたまペットボトルキャップを集めていたというようなリスナーが多く訪れてきてくれる。一方で、現地の商店街の3店舗にもペットボトルキャップ回収の案内(ポストカードとFelicaリーダー・ライタ)を出しておいたので、それを見た非リスナーもやってくる。

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非常に素朴な実践ではあるが、行動が誘発されるいくつかの要因が少し見えてきた。

(1)競争:パーソナリティの「あと何個で◯◯個達成!」だとか、「◯◯個持ってきてくれた人がいます」のような発話は、いい案配に競争意識を刺激するようである。

(2)関与:リスナーは、これまでラジオ番組の構成にメールなどで参与することができた。加えて、ラジオオンエア中に指示された場所を訪れ、番組プロジェクトに加担すること、これもまた強く番組にコミットしている意識を喚起するようである。

(3)交換:特にたまたま御成通りに買い物に来た非リスナーの方々は、ペットボトルキャップを提供することで、リスナーになる可能性がある。特に、ラジオ番組内で発表される「回収されたペットボトルキャップの個数」の途中経過確認のためにラジオをチューニングする可能性がある。受動的に情報を受け取るのではなく、自らコミットすることで能動的に得た情報(We Love Shonanというラジオ番組に関する情報)は、情報の価値や意味合いが少し異なるのかもしれない。これはまたリスナーにも言えると思う。

5時間弱のメディア・イベントで、20名もの人が回収場所に来てくれました。これまで3回行って回収されたペットボトルキャップのキャップも2617個にのぼります。お越し頂いた方々、本当にありがとうございます!

納得研究会

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ほぼ月1回のペースで開催される納得研(納得研究会)に参加した。年内最後、かつ船上(晴海に停泊中の「大成丸」という実習船、メンバーの熊田キャプテンのおかげ)での開催ということもあって、25名の出席者。すばらしす。研究会のあとには船内見学もあり、充実した1日だった。

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研究会の報告の1つ目は、共立女子短期大学看護学科の佐藤和子先生「新卒看護師の初期看護業務習得過程に影響を及ぼす要員」。以下佐藤先生からの発表概要。

------------------ 新卒看護師の早期離職が課題となり現任教育に関する改善や職場の改善などに 目が向けられるようになり、対策がとられてきている。しかし、新卒看護師自身は、どのように受け止められているのだろうか。実際の職場では、先輩看護師やプリセプターとの人間関係、職場内の雰囲気や受け入れ状況が新人看護師を取り巻いており、職場適応に大きく影響していることが予測される。そこで、「臨床現場」で新卒看護師はどのように看護業務を習得しているのか。 その習得過程に対して、どのように思い、どのように見られていると感じているのかなど、新人の視点から考察することにより、職場環境がもつ潜在的な要員を見いだすことが出来るのではないかと考えた。そこで、具体的な看護業務習得過程を分析し、新人がそのようにその経験を受け止めているかを理解することにより、職場内教育のあり方や職場環境について検討することを目的とする。 ------------------

例えば新米看護師は検温などの素人目には「易しい」業務にあたる。しかしそんな検温ひとつとっても、個々の病院にとって違いがある。薬品を置く場所、身につけるものの種類や場所など、一見瑣末な事柄にも見えるが、それが個々の病院によって異なっている。そういった日々のあたりまえもまた、看護師がその病院の風土にどれだけ馴染んでいるのかを示す指標となる。

また、新米看護師と患者との検温場面の会話も興味深かった。患者も病気や病院に慣れてくると、看護師が確認する項目以上の情報を提供したり、看護師が尋ねる前に自分から情報を看護師に伝えたりする。会話のターンテイクの主導権が患者にあるようにも見える。

そのようなやりとりの逐語を見るに、「新米看護師」というものは、患者との会話を通してによって「新米」にさせられているようにも見える。新米であることは、特定の個人の内的属性ではなく、インタラクティブなものであることがよく見て取れた。

もうひとつの報告は東京学芸大学連合大学院の名取洋典さんによる「『動機づけ』とは何であったのか」。以下引用。

------------------ 精神分析学の脅威に対抗するため心理学が作った「動機づけ」の概念は殊に学業場面において「内発的」で「熟達志向」なものをもつことがよいとされるに至りました。すなわち「関心・意欲」は評定するものとなりました。この経緯に加えて近年注目が集まっている「自動動機」について触れることにより特に「質問紙によって自己報告される『動機づけ』」とは一体何なのかについて考えていきたいと思います。 ------------------

これまでの心理学における動機付け研究のレビューを見るにつけ、私たちがいかに日常的に「動機」とともに生きているかのように構築されてきたがよく分かる。

議論で面白いと思ったのは、例えば内発的動機付けのパフォーマティブな側面。それは人間の内からむくむくとわき上がってくるものというよりは、極めて社会的なコミュニケーションであるという側面。

名取さんはサッカークラブで子どもに指導をしているが、そこで子どもに「もっとやる気をみせろ」といったようなことを言うと、「アピールしていけばいいのね」という返答がかえってきたりするとのこと。この子どもは内発的動機付けのゲームにみごとに参与できているように見える。何をしたらやる気があるように見えるのか、動機付けられているように見えるのか、それを行為とともに示そうとしている。コーチである名取さんもその行為を見て、「動機付けが達成された」と認識してしまう場合がある。どうやら動機付けとは極めて相互行為上達成されるものであるようだ。

夕方、船内を様々見学した。キャプテンの部屋、シミュレーションルーム、機関室、デッキ、食堂、操舵室などなど。

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若林さんに招きいれてもらった舵をコントロールするための油圧機。

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実習生が甲板を磨き上げるためのココナツたわし...。

非常に有意義な一日でした。みなさま、よいおとしを。来年2月にまたお会いできればと思います。

Light Insight

土曜日は午後から研究会だったが、午前中に横浜国立大学の有元先生と芹ケ野氏とICCの企画展示Light Insightに行ってきた。

-------------------- この展覧会は、自明すぎてあらためて振り返られる機会の少ない「光」という存在のもつ過去、現在そして未来への可能性を、「知覚」という切り口を通して、アートと科学を超えた視点から新たに照射するものです。 --------------------

特に興奮したのが、You and I, Horizontalという作品。微細なミストが漂っている空間の中に、プロジェクターの光が投影される。可視化されるミストの動きも幻想的だ。ミストと光とで構成される空間の中に身を投じた人は、SFの世界を彷徨う姿にも見える。

また、思考プロジェクターは、眼科検診で用いるような器具を使って人間の眼底写真を撮るインスタレーション。それが正面の壁に拡大して投影される。眼底写真はこちらのサイトにもアップされていく。視神経のきれいな交通網を目の当たりにすることになる。なによりも、自分の目を自分の目で見るという経験は非常に面白い。

(企画展時は)1時間半あればおそくら十分みてまわれた。新宿近辺に行くことがあったら立ち寄ることをおすすめします。

ちなみにICCの展示の中のマイクロプレゼンスは、今私のいるドコモハウス発の研究の展示。こちらも是非。

銀座のクラブにおける学習

所属しているケータイラボでは、月に1度のペースで修士課程の大学院生による研究進捗レビューが実施される。工学の先生、社会学の先生、コミュニケーション論の先生(と状況認知の私)が集まり、それぞれの研究室の修士課程の学生が1ヶ月の成果をプレゼンする機会となる。

その中に銀座のクラブ/キャバクラにおいてフィールドワークを進めている大学院生がおり、非常に興味深く話を聞いた。大学教員同様、「その他のサービス業」に分類されることもあるクラブホステスであるが、その組織について初めてしったことが山ほどあった。

店にいる(関わる)人の分類もそう。オーナーママ、ウリアゲ(雇われママの場合もあり)、ヘルプホステスとバイト。ウリアゲとは顧客をたくさん持っているホステスのことで、その人が店のママになっている場合も少なくない。ウリアゲは完全歩合制で、契約時に目標売上げ数(顧客を毎日◯組以上来店させるなど)が取り決められ、それを達成できないとペナルティがある場合もある。また、ヘルプホステスやバイトの給料は日給の保証性もしくは時給制で、ノルマはあるものの持っている顧客も少ないため、売上げほど厳しい契約はない。

銀座のクラブで興味深かかった点は、一流のホステス、特に一流のウリアゲは、特定の店だけに閉じているわけではないということ。銀座は街自体がつながっていて、店舗どうしで情報が飛び交う。ある特定の店舗で熟練ホステスとみられたり、ある店舗内でのしあがるだけでは「一流」ではないようである。例えばウリアゲとして銀座で仕事をしていくには、銀座の街全体のネットワークをいかさないと、もしくはそのネットワークが見えてこないとうまくいかない。

ウリアゲにステップアップする際には異動を伴う場合も多いようだが、その際ヘルプの段階から経験はもとよりそれまで蓄積したコネ、また今勤務している店舗が銀座全体の中でどのくらいのランクに位置しているのか、そういった情報が個人の価値を決定づける。ふらっとやって来ていきなり銀座でウリアゲというわけにはいかない。

銀座で働きはじめた人は、その銀座の中で移動/異動していく場合が多い(ついでにウリアゲが異動したら顧客も移動する)。ホステスのキャリア形成には、当然容姿だとか個人の努力といったものも関係するのだが、「以前この店にいました」「このホステスからの紹介です」といったように、銀座全体の中で自分がどのようなポジションにあるのかを見せる必要がある。

あるホステスのホステスとしての「能力」は、個人の内部に普遍的に「ある」ようなものではないことはもとより、それどころか店舗の中の振舞いだけでもない。銀座という街の中でのポジショニングを考えていかないと、「能力の高いホステス」はどうやらみえてこない。潜在的に非常に興味深いフィールドとなるのではないかと感じた。

Acousphere

今日、研究室に音楽家がいらした。

SFCの「芸術と科学」の授業で中川ヨウ先生が招聘したAcousphereのお二人と、若手のアソウさん。ギター2本によるインストルメンタルのグループ。履修していた学生さんに聞いたら、20分のライブパフォーマンスまで披露してくれたとのこと。SFCの授業って、すごいわ。

授業を終えて休憩がてらにドコモハウスに来てくれていたAcousphereのお二人とアソウさんと、調子こいてお昼ご飯をご一緒させていただいた。私から繰り返される素人質問にも、ひとつひとつ真剣にこたえてくれる。なんて魅力的な方々なんだろか。

興味深かったお話は、音楽家の評判システム。もちろんプロなので、「一般の人々」に聴いてもらうことも大事だが、「マニアックに理解してくれる人」から得る評判もまた格別だとのこと。ある特定のコミュニティにしかわらからない、ギークな知識体系や価値観(esoteric knowledge)のもとに生きている音楽家の姿を垣間見ることができた。

またAcousphereは、クリエイティブコモンズの動きにも関心を寄せていた。ローレンス・レッシグにも言及しながら、また驚いたことにコミケにも言及しながら、アマチュア発プロダクツを醸す土壌や文化形成を目指す意味について聴くことができた。

日本では、面白い音楽をやっている若手に鼻が利いて、そういった人たちに機会を提供したりするマネジメントのプロが(米国と比べれば)まだ少なく、今以上に増えてきてほしいとのこと。もしくはノマド的、ハッカーキャンプ的にアマとプロが混ざり合うような機会、そういった学習環境のデザインも面白そうとのこと。ミュージシャンがコミケスタッフみたいにボランタリーにつながってコミュニティを組織するのは現時点では難しそうなので、そのマネジメントに特化して動く強烈な個人が現れることを期待したいと思った。

ちなみにShigeさんは高校時代漫研所属とのこと。おみそれしました!
以上、普通にSFCの学食でてんこもりの飯を食い、煎茶をすすりながら話してました...

ありがとうございました!

目を開けて夢をみていたのだと気づくための一冊

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滋賀県立大学の松嶋秀明先生のサイトに拙著『デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学』に関する激しく嬉しい書評を掲載していただいた。

松嶋先生に対する私の(勝手な)印象は、臨床心理士の資格をもち、臨床心理学を専門としつつ、社会構成主義のアイディア、社会文化的アプローチ、状況的学習論、活動理論などといった臨床心理士があまり踏み込まない領域にも精通した希有な学者。一見異種混交な領域を2つカバーしているのは、すごい強みだと思います。

書評には、かなり「おいしいところ」を取り上げていただきました。

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私が理解したかぎりでは、著者いわく「文化」とは、現実の見え方のデザインである。いかに自然に、それ自体があるかのように見えても、人間はこの世の中を徒手空拳で生きてきたのではない。もしそのようにみえるのだとしたら、それはスピノザが「目をあけて夢をみる」といった状態に近い。むしろ、人間は世界と関わるために道具をつくりだし、それを蓄積ー継承し、自分たちが衝動のままに生きても不都合がないように、現実のデザインと再デザインを繰り返してきたといえる。これは現実の変革を可能にするという意味では、非常に夢のある世界観だし、私たちがデザインしていくしかないのだという意味では、非常に厳しさを感じる世界観だと思う。

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私たちが文化的な道具をつくりだすのは、世界を「ブラックボックス」化するための作業とみることもできる。どの時代でも、その時代にあった、快適に、半ば自動化されて、ほとんど意識することなく日常を過ごせるようにするための文化的な道具がある。それこそが人間のやってきたことであり、それは昔も今も変わらない。私たちを取り巻く人工物や状況が変われば、それとともに再デザインを繰り返す。

核となる部分に共鳴していただけるのを知ると、本当に勇気づけられます。研究会などでもお会いする機会があると思うので、さらに議論できればと思います。本当にありがとうございます!

FM横浜 We Love Shonan 公開放送

※写真はのちほど掲載。

以前湘南道草プロジェクトを取り上げて下さったFM横浜"We Love Shonan"の公開放送が江ノ島の展望灯台で行われていたので、フィールドワークと関係者の方々へのご挨拶との目的で参加した。

江ノ島展望台までは、片瀬江ノ島駅から徒歩で20分位。ペットボトルキャップの入ったスーツケースとともに、有料エスカレータの存在に気付かず階段をひたすらのぼる。私が着いたときは、たまたま江ノ島の灯台までスーツケースを持っていく人は他におらず、スーツケースを転がる音の大きさも手伝って、かなり視線を集めたように思う。後でwebで調べたら、江ノ島の島内には冬期690円/1日の駐車場もあったようだ...車でいけば良かった。

展望灯台のエレベータで展望室に向かうと、1/5くらいのスペースを使ったエフヨコ特設スタジオを目にした。10人くらいのスタッフと、パーソナリティの齋藤さんがいる。そしてラジオ番組を支える要、リスナーの方々らが特設スタジオを取り囲む。

もちろん遊びや観光目的で来た方々、デートで訪れた方々、そういった人々もパーソナリティの声をたよりに立ち寄っていく。公開放送は、番組を支えるリスナーとのコミュニケーションの機会にもなる。それとともに、たまたまその場に居合わせた人との偶然の出会いから番組リスナーへといざなう機会にもなる。場の意味というものは大きい。

新規リスナーを獲得する手段としては、ティッシュ配布や巨大広告のように、とにかく母集団をでかくすることも有効だと思う。その一方で、母集団は圧倒的に少ないが、「そこにいた人」を「リスナー」にしていく方法も地味だが面白いかもしれない。

その場でf2fで対峙しているからこそ、例えば「そこにいた人」を番組に取り込むことができる。ラジオスタッフもそういう動きをしていた。パーソナリティはちょくちょく来てくれた人たちと話をしているし、すごくおしゃれなステッカーを配布したりしていた。

また、何らかの活動をリスナーや「たまたまそこにいた人」に、その場で行ってもらうのもよいのかもしれない。ラジオ番組内で結果を反映させることができるような実践。これは、「一緒にラジオ番組を制作している感覚」を高めるかもしれない。ラジオ制作に自分が少しコミットメントしたこと、それとの「交換」の対価として、ラジオの情報が得られたり、ラジオのオンエアに反映されたり。

ティッシュ配りなどに見られる、匿名的大規模情報配布の対極にあるやり方だと思う。「宛名性を伴う小規模情報交換」によるいざない方が、地域FMの特徴のように見えた。

公開放送を目的に来た方々に話を聞くと、リスナーとパーソナリティが直接コミュニケーションをとることのできる場は非常に貴重であるとのこと。いつもははがきやメールでのコミュニケーションだが、それ以外にも公開放送のように場が両者をつないでくれることは刺激的で満足度も高いように思える。(ラジオ番組の中で、よく街角リポートのようなコーナーがあるが、それが含む様々な意味の1つが少し分かったような気がする。)パーソナリティにメッセージを届ける機会や届け方、または先述したようにリスナーが番組制作に今まで以上にコミットメントできるような仕掛け、そういったものが比較的低コストで実現できたら、ちょっと嬉しい。

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北海道大学の伊藤崇先生に引き続き、東京大学大学総合教育研究センターの中原淳先生も『デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学』お読みいただき、ブログに書評を掲載していただいた!本当にありがたい限りです。

この書評がすごい。

本書は、状況的学習論などの諸理論に頭を悩ませてきた、筆者らの1つの見方を綴ったものです。それを(もっと深い解釈をしている人がたくさんいるというのに)沃野に放つのですから、批判は正直怖い。しかし一方で歯牙にもかけられない状態も想像したくない。

中原先生の声援は、そんな精神状態を猛烈に鼓舞してくれる処方箋。昔のモー娘。とつんくの関係もこんな感じだったんだろうか。著者編集者一同、うっすら涙目になりました。メガネが曇って視界が悪いのかと思ったら、私が泣いていたからでした...

いただいたコメントを素直に信じて、喜んで、自尊心高め油少なめで挑戦してゆく勇気がわきました。

愛と勇気で生きていくのだ。

フォイエルバッハ研究会

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横浜国立大学の金馬先生、有元先生ほかによる『フォイエルバッハ研究会』(とりあえずの命名)に参加した。26歳のマルクスが自分用に走り書きしたメモ、通称「フォイエルバッハ・テーゼ」をいろいろと読み込む研究会となった。

金馬先生、お忙しい中ありがとうございました!

■以下、研究会のメモ書き。

なぜ今マルクスなのか? しかもなぜ「フォイエルバッハ・テーゼ」なのか? それは、びっくりするくらい活動理論や状況的学習論、もしくはヴィゴツキー派のものの見方やにマッチするから。例えば以下のフォイエルバッハの第1テーゼ。

「これまでのあらゆる唯物論の主要な欠陥は、対象、現実、感性がただ客体の、または観照の形式のもとでのみとらえられて、人間の感性的な活動、実践としてとらえられず、主体的にとらえられていないということである。そこでこの活動的な側面は、唯物論に対立して、観念論によって展開された。」

マルクス以前の哲学では、人間の活動的側面をとらえられないでいた。社会は人間の具体性を持った活動と実践から成り立っているのに...。ヴィゴツキーの言葉ですと言われたら、ハイそうですね、と思ってしまうだろう。研究会の教材となった高田求さんの『マルクス主義哲学入門』によれば、人間の活動とは以下のように定義されている。

人間の活動は、...感性的、物質的な対象をつくりだす実践的活動(「対象的活動」)ーすなわち、労働、生産、産業ーこそが「人間の活動そのもの」の基本なのです。

実践的活動からはじめる状況的学習論もまたマルクス哲学同様に唯物論。おそらくめたくそに唯物論。実践性を超重視する唯物論。有元先生の談を借りれば、PUFFYがいいなと思ったらその源流はビートルズでした、というように、ジーン・レイブがいいなと思ったら源流はマルクスでしたという感じ。思想の樹系に関する表層的な知識をやっと少し払拭できてきた。

またマルクスは第3テーゼにおいて「環境の改変と人間の活動、または自己変革とがひとつのことだということは、ただ革命的な実践としてだけとらえられ、合理的に理解されうる。」とメモしている。ここから、人間は環境と教育によって左右されるものであり、したがって人間をかえるためには環境と教育をかえねばならないという唯物論的な系図が見えてくる。

学習環境のデザイン! と思ってしまうわけです。学習のコンテクストをどのように構築するか、ということは、人間のアイデンティティや能力の可視化と不可分なのものだ、ということをさんざん問うてきたわけです。その源流はこんなに奇麗につながっていたのかとびっくりする。ただしこれは社会主義的な社会の構築に向かう労働者への期待であり、労働者が実践的活動によって環境を変え、自分自身も変われるのだということを見通すもの。

そしてまた重要な点は第11テーゼにあるように、

「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきた。かんじんなことは、世界を変革すること。」

...古い秩序の打倒=少数の支配者層をてっぺんにした、中間層、労働者層の三角形を、労働者が支配者層の上に立つ逆三角形のような社会に変革すること、このために行動すればいいという展望である。これははじめて哲学が世界を変革することができるとなったことを示している点でも重要。それまでのものの哲学は意味が無いともみえてしまう感じ。

金馬先生のご専門の一端は戦時下・戦後の日本教育史で、その中でマルクス主義やヴィゴツキーなどがどのように「翻訳」されてきたかを問うもの。金馬先生の話をうかがうと、ヴィゴツキーはこれまで多様な読まれ方をしてきたということが分かる(佐藤学先生が日本におけるヴィゴツキーの日本的解釈について書いていて、それに詳しい)。それはマルクスの当初の読まれ方にも似ている。ヴィゴツキー理論は、主に教育学で系統学習論、科学教育論を担保するための資材として用いられていたこともあったようで、例えば今日のエンゲストロームによるヴィゴツキー解釈のみが正統派ということでもないようだ。

あのZPD(発達の最近接領域)もそうかもしれない。子供をスモールステップで育てていくアイディアは、ピアジェとタグづけて記憶していた。しかいヴィゴツキー理論もまた、形式的教育の燃料として用いられていたことになるのかもしれない。私が「ヴィゴツキー理論」と聞いてイメージすることがらは、柔軟に再解釈され続けてきたヴィゴツキー理論の1つの側面ということになる。

例えばエンゲストロームなどは、矛盾を許さない予定調和的な教育(や政治など)ではなく、異質な人を出会わせるとか、異質な学校と現場をつなぐとか、そういった実践の展開のためにヴィゴツキー理論とともにユニークな実践を展開してきている。こういった私が聞きかじったヴィゴツキーの解釈は、実は再解釈の過程のものだったとはじめて知ることになる。
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■以下は覚え書き程度。
フォイエルバッハの第6テーゼ「人間相互のこのつながり、これこそ社会とよばれるものの基礎をなすものであり、...人間の本質の現実の姿は社会的諸関係の総和(アンサンブル)である。」...アクターネットワーク理論じゃん! カロンじゃん、ラトゥールじゃん!

めためたな構造主義的解釈→ものを媒介しないと人と人はかかわれない。今の社会では、商品が独自に運動している。人と人との関係はものとものとの関係として現象している。自分が何かものを売って金儲けしたいということじたい、実は社会の構造に埋め込まれている。(物象化論、あるいは疎外論)何かものや考え方がある場合、それに対立するものをたて、それらが反駁しあうことによって、新しいものが生まれるという発想にしても、実はヘーゲル的弁証法。金馬先生によればそう定式化してしまうと単純すぎて、もう少し複雑なはずではある。矛盾が、対立が現実に含まれていて、それを歴史的にみると、いい部分をとりあって、悪い部分を捨て合って、新しいものを生み出し続けてきた。これこそがアウフヘーべン(止揚)。矛盾とか対立がないと発展はない、なので社会の矛盾が何なのかと見つけて働きかけようとする実践が重要ということになりそうだ。

ちなみにマルクスとエンゲルスは仲良しだけど若干主張と性格がちがう。マルクスの私生活はうまくなく、エンゲルスが生活の面倒をみたとのこと。当該の「フォイエルバッハ・テーゼ」も、マルクスが書いたフォイエルバッハのメモを発見して、エンゲルスがそれに手を加えて自分の『フォイエルバッハ論』という本に載せたものだという。

認知科学Vol.15, No.4に、腐女子のアイデンティティに関する拙論が掲載されました。この論文では以下の2点について書いております。査読時にいただいた匿名の査読者2名によるコメントが非常に有益なもので、本論の骨子にかかわる重要なご指摘でした。激しく感謝しております。認知科学会、おすすめです。

(1)「腐女子としてのアイデンティティ」を不可視化すること、このこともまた逆説的に「腐女子としてのアイデンティティ」を可視化することに関与していること。

(2)腐女子が世間一般より否定的な烙印を押されると認識しているがゆえに、「腐女子としてのアイデンティティ」は(1)のように隠蔽される。その隠蔽工作を昇華するために腐女子がとる自虐的(またはアイロニカルな)コミュニケーション方略の様相。

他の腐女子論文でも言われるように、腐女子は自分たちで自分たちのことを「腐女子」と自嘲気味に呼びます。これは「腐女子であるわたしたち」のみに許された自己執行カテゴリと思われます。ガーフィンケルが描いたアグネスの事例のように、腐女子はアイデンティティの可視/不可視に(ネタ的なものも含めて)敏感に呼応します。ただしこれは、一見突飛な集団の突飛な実践ではないと考えます。それは腐女子を対象にすることで見えやすいだけで、腐女子以外のその辺にいる人たちも不断に行っているアイデンティティ戦略のひとつのあらわれだと考えます。

岡部大介(2008)腐女子のアイデンティティ・ゲーム:アイデンティティの可視/不可視をめぐって『認知科学』Vol.15, No.4, pp671-681.

第5回国際シンポジウム「新しい学びの挑戦」

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CHAT(関西大学人間活動理論研究センター)主催の第5回国際シンポジウム「新しい学びの挑戦」に参加してきました。JR東京駅 日本橋口すぐのサピアタワーにある関西大学東京センターにて開催。すごい瀟洒なビルだし、入館管理がsuicaって、いいな。9Fから眼下にはJR各線が広がってるし。

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テーマは、「日本とフィンランドにおける教育の変革」なのですが、フィンランドネタは午後からで、所用のため午前中のみ参加。宮崎先生(早稲田大学)、大島先生(静岡大学)、白水先生(中京大学)、比留間先生(関西大学)、山住先生(関西大学)の5人で行う共同セッションでした。午後には、ヘルシンキ大学の Jaakko Virkkunen 教授と Pirita Seitamaa-Hakkarainen 教授の基調講演が予定されていました。

中京大学の白水始先生のプレゼンテーションをはじめて拝聴することができた。中京大で三宅なほみ先生と一緒に行っている認知科学系の授業内容の理解を促す道具のデザインの話でした。レクチャーはダメ、じゃなくって、レクチャーもいい!というのがこのデザインのスタートにあるようです。

通常の大学講義では、講義後に振り返りシートに感想や疑問点などを書かせても、先生が喋ったネタとか、先生が最後に出した結論部のスライドの内容を書いて「面白かった。」と書くだけ。なんでそんな結論になったのか、というようなプロセスは大半の学生は不問。これは多くの大学の先生が遭遇している状況だと思います。

白水先生は、講義を全部ビデオにとって、それを何分かのビデオクリップにして、学生それぞれにひとつのクリップを担当させる。学生は各々ビデオにコメント可能で、受講生の書き出されたコメントをつなげていくことで、理解が促進するという「協働的リフレクション」。

この大学版ニコニコ動画的知識共有ツールは面白いかも。今回のCHATフォーラムも動画におさめて、参加者が好きなところにコメントのこしてBBS的に使ってみるだとか、そういうこともできるだろう。ニコ動の目的は時空間を超えた視聴者どうしの感動共有かもしれないが、白水先生システムはマニアックに徹底理解する目的に向いていると思われます。

こういう道具が授業に入り込んでくると、学生さんは「レクチャでの学びは難しい。けど、レクチャでも学習や理解は可能。」というメタ学習がデザインされるよに思います。道具は教師の授業目的を強く可視化してくれる。実際にこの授業にハマる学生さんは、この授業の目的が何なのか、どういう姿勢で臨むのがよいか、ということを強く意識できたように思います。

大島純先生の「デザインベースドリサーチ」の話題提供にも、学習のコンテクストの構築に注力している点がみてとれました。「科学を学ぶナレッジ」、「コミュニティ管理ナレッジ」といった事柄を追求する「デザインリサーチ」を数年がかりで繰り返す実践コミュニティの話。おそらく大島先生の研究室の話か、それを少し拡大したコミュニティの話なのかと推測しますが、そこでの目的やメタ部分をはっきりと組織化、方法論化することは、新参者にとっても、中にいる人にとっても習得すべき事柄やリフレクションの指針が明確になるんだろうなと思いました。

iii Exhibition 10

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東京大学第10回制作展"iii Exhibition 10"がすごかった。個々の作品の展示の仕方もわくわくさせるし、作品も血わき肉おどるものがそろってた。

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展示作品の中でもっとも気に入ったのは『東京動脈』。東京の地下鉄をチューブを用いて3次元で表象した作品。作者は自分の足で都内の地下鉄全駅でホームまでの階段の段数を数えあげ、全ての駅階段数どうしの比に忠実にチューブで再現している。こういったアイディアを生み出し、しかも具現化するために地味に日々行動し、こぎれいに作ってしまう方って、無限に尊敬する。できることなら、段数を数え上げている日々の話を聞いてみたい。すんごく楽しくなってしまった瞬間があったのではないかと思えてしまう。

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もうひとつ、中庭で展示していた『thermotaxis』。これはちょうど作者と対話できたのも良かった。上部に設置されたカメラで「耳当て」をした人々の位置を測定し、複数人が近くに固まっていた場合は耳当てが程よく発熱する仕組み。人の動きによって、外界の目に見えない情報が可視化される。その目に見えない情報をセンシングするハードウエアが、聴覚でも嗅覚でもなく、皮膚感覚であるところが何よりコニクイな。

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北海道大学の伊藤崇さんに、新刊本『デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学』をお送りしたところ、さっそく読んでいただき、書評をエントリーしてくれました!本当にありがたい限りです。お送りしてよかった...

http://dunloe.life.coocan.jp/finnegans/2008/12/04145633.html

伊藤さんの筆によって、僕らが本書で求める文化心理学的視座を以下のようにまとめていただいています。伊藤さんのいう「自分たちで仕込んだ仕掛けに満ちた世界。その世界を生きるわたしたち。」無限に嬉しいコピーです。

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わたしたち人類は、環境を変化させ、意味のある対象とすることを通して生きてきました。そうした変化が積もり積もったのが現在のわたしたちの生きる世界です。ですから、この世界には、先祖たちや同時代を生きる他者が仕込んだ仕掛けが満ちあふれています。
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DEEシンポジウム:主体性のデザイン

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筑波大学で開催された質的心理学会にて「主体性のデザイン」というシンポジウムを行いました。状況的認知、状況的学習論のセッションで、さまざまな現場にグイグイと食い込んでいく30代40代の中堅研究者にご発表いただきました。事故統計、エコツアー、法廷という場におけるリアリティ構築が、たんにナラティブということだけではなく、それぞれの具体性で記述されていることが非常によく分かるシンポジウムになったと思います。

最初に準備運動として発表いただいた青山征彦さんは、「ハイブリッドコレクティブは一夜にしてならず」という心に染み入る言葉とともに〆てくれました。アクターネットワーク論を追い求めつつ好きにはならないツンデレ青山さんらしい観点でした。アクターネットワーク論を用いて分析するときに、ある瞬間のアクターの構成をみるだけではなく、様々なアクターの関与の歴史的蓄積によって今の布置があるという視点、またある瞬間ある人の目から見るからハイブリッドコレクティブだということへの意識。違う布置の絵があるということをきちんと考えておくべきだということが重要だと思いました。参考→「アクターネットワーク理論が可視/不可視にするもの : エージェンシーをめぐって」

続いて藤田悟郎さんに、「事故統計と犯罪統計における主体性のやりとり」というタイトルで発表していただいた。以下の論文「自動車事故予防を目指す実験室研究における困難」がかなりの力作ですが、改めて、主体性というもの、もしくは関心や同盟といったものが、インスクリプションによってみえてくることがよく分かりました。事故統計や犯罪統計というインスクリプションは、調査担当者や管理者(非研究者)、そして外部ユーザー(研究者)といった様々な人々=主体が利用するわけですが、そこで主体性の関心の不一致が原因となって混乱と交渉が生じる。この混乱を乗り越えるための手だても追求されていて、こうした交渉やインスクリプションとセットではじめて主体が見えてくることを強く意識させられました。

小笠原エコツアーの帰路(25時間半!)にエコツアー参加者に無限インタビューを繰り広げる文野洋さんは、インタビュー場面、特に研究者とインタビューに回答する人=エコツアーで何か学習した主体の2者構造を問い直し続けています。温厚な容姿とは異なり、文野さんの主張は「語りを単独で産出する個人、いわば実験データのように取り扱われることが質的研究では多い(けどそれでいいの?)」と強い。研究者はインタビューテクニックで「学習すべき主体」を構築する存在だし、話し手はその役割を引き受けてくれたという存在として見るべしと。そして、インタビュー場面ではインタビューに応じる人と、それを破るエコツアー参加者という人、そういった関係性の移行や反復が生じ続けるのだと。これは、私も含めインタビュイの「自発的な語り」としてみようとしてる研究、または学びは個単独で生じているとする研究への大きな警鐘だと思います。参考→インタビューにおける語りの関係性 : エコツアーの参加観察

最後に高木光太郎さんの発表。高木さんとシンポジウムでご一緒するのは始めてですが、引き込まれました。あんなに「めった刺し」という用語が飛び交う学会発表ははじめて聞きました。法廷や供述調書作成時にどのように犯罪者が作られていくかの話。検察や警察という「事実」の情報を持っていない聞く側が、事実情報を持っている被疑者より偉いというその不均衡。被疑者から証言を引き出す特有の「構築システム」のもと、ある人をうまいこと体験者=被疑者としてつくりあげていく、その体験者=被疑者構築システムの強力さを見事に例証されていて、強い興味を覚えました。

高木光太郎さんの著作はググれば無限にでてくるので、読み直して行きたいと思いました。

今回は「アフタートーク」(=宴会)と称して、筑波大学から徒歩10分の百香亭に行きました。合計20名もの方々にご参加していただき、こちらも大満足の宴会になりました。数年、主体性のデザインというテーマで研究会やシンポジウムを組織できればと思います。

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焼き肉屋、コスプレ、腐女子、プリクラ、童貞...心理学系学術書の限界を軽く超えたフィールドを対象に、とことん真面目に論考した「半径300m内限定の文化心理学」です。

北樹出版『デザインド・リアリティ:半径300メートルの文化心理学』

横浜国立大学教育人間科学部准教授の有元典文先生と私とで執筆された本が12月1日に北樹出版より刊行されました。お手にとって読んでいただければ非常に嬉しいです。
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〔帯文章より〕
「教え・学び・実践をデザインする全ての人へ」
私たちの日常は、すさまじいまでに「デザインされて」いる。しかし、同時にまた、もっとすさまじく、人々は「デザイン返し」しつづけている。「文化」とはそういう「せめぎあい」の場であり、そういう現場を探求するのが本書のいう「文化心理学」なのだ!佐伯胖(青山学院大学教授・東京大学名誉教授)

〔内容紹介:北樹出版〕
私たちの生きる現実の世界はどのようにつくられ、そしてつくられつつあるのか。文化的につくられる世界を身近な切り口から柔軟に鮮やかに論じる。文化心理学の立場から世界とそのつながりを読み解いた好著。
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