February 2009 Archives

Lev Vygotsky: One Man’s Legacy through his Life and Theory,

ISCARでもアナウンスされていたヴィゴツキーの映画が今月でるらしい。

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Lev Vygotsky: One Man’s Legacy through his Life and Theory


ヴィゴツキーの人生をいろんな国のご家族とヴィゴツキアンを登場させながら描くらしい。登場するヴィゴツキアンとは、Michael Cole, Lois Holzman, Vera John-Steiner, Alex Kozulin, Tamara Lifanova, Luciano Mecacci, James Wertschといった方々とのこと。

ここで一部視聴可能。

ルナティック

先週、「場づくり」に参加させてもらった。

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研究仲間の経営するレストランルナティック@二子玉川の2階部分の改装作業である。業務内容はペンキ塗装で、素人塗装工にもかかわらず参加させてもらった。

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ルナティックは目の前に多摩川が広がり、春には桜で覆い尽くされるすばらしい場所にある。そこで提供されるイタリアンも非常にイケてる。非常に分かりにくい若干ブレアウィッチな場所にあるが、それがまたイイ!

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そのルナティックの2階、もともとは林の中のアパートの2階部分を改装して、新たなレストラン、というか集いの場を提供するとのこと。どうやら、新鮮な食材は提供するものの、その調理は自分たちで好きにやってね、飲み物とか必要な食べ物は注文すれば持ってくYO!というお店、というか「場」のようである。

こういう「場」は、いい。すごい魅惑的だ。

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こんな場をつくる作業の一端(塗装)にでも、ご迷惑ならがらも参加できたのは嬉しいことだし、またこの場に対する愛着もわいてくる。自分はお店のユーザーの一人にしかなれないが、ほんの少しでも場づくりしたこの「場」には、愛着を持って足を向けそうだ。

またお店の営業/経営とも合致すれば、いろいろな「集まりの場」として利用させてもらえそうだ。

こういった、ハード面での場づくりの過程には、やりたくても中々参加できないと思う。ルナティックの皆様、貴重な機会を本当にありがとうございました!

人と時代と写真と−人を如何に表現し記述するか

パーソナリティ心理学会企画のシンポジウムでしゃべります。

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山形出身の写真家鬼海さんを招いてのシンポジウム(鬼海さんは同じく山形県酒田市出身の写真家土門拳の土門拳賞を受賞している)。こういったユニークな機会を提供できる企画者はすごい!。

向山泰代先生、松本学先生のご専門と私の関心は一見ばらばらで、これもまた当日が楽しみ。他領域の話を伺えるのはありがたい機会。書き物を拝読して臨まねば。

以下アナウンス。

日本パーソナリティ心理学会経常的交流委員会企画
 「人と時代と写真と−人を如何に表現し記述するか」

<日時>2009年3月29日(日) 午後2時開始

<場所> 東洋大学白山キャンパス6号館1階6101教室
(都営地下鉄三田線「白山」駅 A3出口から「正面・南門」徒歩5分またはA1出口から「西門」徒歩5分)

<参加費> 500円

<講演>
 鬼海弘雄(写真家)

<シンポジスト>
 向山泰代(京都ノートルダム女子大学)
 岡部大介(慶応義塾大学政策・メディア研究科)
 松本 学(共愛学園前橋国際大学)

<企画・司会>
 伊藤匡(東京大学大学院総合文化研究科)

<参加申込> 
 参加をご希望の方は3月22日(土)までに下記メールアドレスまで事前申込を行って下さい。その際,メールの表題を「写真企画申込」として、本文には氏名と日本パーソナリティ心理学会員か否かを明記してください。

<参加申込/問い合わせ先>  masarui[at]ardbeg.c.u-tokyo.ac.jp

<企画趣旨>
世界最初の実用的写真技術であるダゲレオタイプが誕生したのが1839年。それに遅れること40年,世界最初の実験心理学研究室がライプチヒ大学に創設されたのが1879年。以来,両者は「人,動植物,環境,社会,時代,生活」といったようにさまざまなものを対象としてきた。両者が同じ俎上で語られることは少なかったが,このようにみると両者には「どのようにして世界を切り取り,理解し,記述・表現するか」について様々な工夫をこらし,苦慮し,そして変化してきた,といった共通点があるように思える。
 主に人を対象とする本学会において様々な研究方法が検討される中,写真という媒体を通じて新たな心理学の在り方を考えることは有益であると考え,本シンポジウムを企画をした。
 今回は写真を通じて人との出会いを長年とらえ続けてこられた写真家の鬼海弘雄氏をお招きして,スライドを交えながらこれまでの「出会い」について御講演いただく。また三名の心理学者とのシンポジウムにも加わっていただき,写真を通じた人との出会いについて考えられればと思う。

<タイムスケジュール>
14:00-14:50 鬼海氏の講演
(休憩)
15:00-16:30 シンポジウム
16:30-17:00 質疑応答

モバイル社会の現在(いま)を考える

モバイル社会シンポジウム2009「モバイル社会の現代(いま)を考える」でしゃべります。

http://www.moba-ken.jp/event/symposium2009/sympo2009_program

日時:
2009年3月3日(火)10:00~17:00

会場:
スパイラルホール
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23

アクセス:
東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線
「表参道駅」B1出口前、もしくはB3出口より渋谷方向へ1分。

主催:
株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ
モバイル社会研究所

問い合わせ先:
モバイル社会シンポジウム事務局
TEL:03-5156-1087
FAX:03-3581-1801


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モバイルデジタル文化 : オンの場のモバイル*オフの場のモバイル
都市空間における私たちの実践には、モバイルテクノロジーが溶け込んでいる。ワンセグやオンライン上のコンテンツ消費は元より、ケータイでライフログのように情報を蓄積・発信する「書く消費」(杉浦, 2008)も広まっている。このように、モバイルテクノロジーとともに徘徊可能なホームレス化した日常において、ユーザーのアイデンティティや対人関係はどのようにマネジメントされているのだろうか。本講演ではその特有の実践に焦点をあてる。
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会場はスパイラルだし、楽しみです。

塗師斌先生の退職を祝う会

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2009年3月31日に、塗師斌先生が27年間勤めた横浜国立大学教育(科学)部心理科を退職される。18歳でこの心理科に入学した私は、かれこれ17年間、塗師先生にご指導いただき、またことあるごとに激しく遊んでいただいた。

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横浜国立大学の教育文化ホールで行われた最終講義「国大心理科27年を回顧して」、そしてヨコハマランドマークタワーにおいて開催された退職記念パーティに参加した。

最終講義では、塗師先生のご専門であり、卒業生との「共通言語」でもある心理統計がトピックの1つとなった。1992年当時は入学時から心理学専攻として受験していたため(現在は2年生から専攻が分かれる)、入学直後から心理学専門の必修授業を受けることになる。その1つに塗師先生の心理統計の授業がある。

内容は(当たり前だが)数学で、心理学を実践していく上で、統計の考え方がいかに重要であるかを知ることになる。これまで私も力不足ながら心理統計の授業を担当させていただいてきたが、そのベースは塗師先生の授業にある。

最終講義の中で、無限に懐かしい「課題」が出た。

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「乱数表から4個の1桁の乱数を無作為に選び出してその平均を求めることを50回繰り返しなさい。そしてその50個の平均の平均と標準偏差を求めなさい。次に、乱数表から9個の乱数を選び出して、同様なことを行いなさい。さらに今求めた4個(N=4)の場合と9個(N=9)の場合の違いを考察しなさい。」

この課題に(少なくとも私は)今ではほとんど参照することはない「乱数表」を使ってあたる。乱数表の任意の箇所から4つ/9つ選択し、ひたすらに平均を算出する。エクセルだったら1分の作業を、windows95以前の手計算時代にひたすら実施する。

「母集団」も「標本平均」の概念もない大学1年生が、課題を通してこれら概念の意味を知ることになる。

またいかに塗師先生が麻雀に長けている点、そして名だたる心理学者を助手時代に(麻雀で)なぎ倒してきたかも、実物の麻雀ノートを引き合いに言及されていた。日頃の遺恨を麻雀ではらすという話(勿論冗談で)が非常に面白かった。

会場を移動してヨコハマランドマークタワーの宴会棟にて退職記念パーティ。

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塗師先生はかねてから、「自分のための式典」ではなく「自分を出汁にした同窓会」として卒業生修了生が集まってもらえればとおっしゃっていた。塗師先生の人柄があらわれているが、その人柄ゆえに各世代の非常に豊かな人の集まりが実現されていた。

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宴はランドマークタワー70Fのシリウスに移動しても続く。

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塗師先生を慕うOBOG、そして現役生や先生方が一同に介し、みな楽しそうだった。それを目にする塗師先生が、また楽しそうだった。「万感の思い」とはこの日何度か塗師先生が口にした言葉だが、参加者もみなそれぞれに塗師先生の姿を刻み込んだだろう。

すごい学者が国大を去るけれども、同時にすごい学者が歴史に残ることになるのではないだろうか。

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夜遅くに研究室にいる私をファミレスに誘い出して下さったり、昼ご飯を食べたり、突発的な宴会なり...といった何気ない日常が懐かしいし、同時に寂しい。

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塗師先生、本当におつかれさまでした。そして、また今後もことあるごとにお会いできれば幸いです!どうぞよろしくお願いいたします。

武蔵工業大学環境情報学部で開催された「地域とICT」に関するシンポジウムに参加した。

シンポジウムの概要は、以下の通り。

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本学部の「ICTによるニュータウンの街作り拠点構築」プロジェクトは2007年10月から2年半の予定で、文部科学省の現代GP(good practice)プログラムに採択されています。
このプロジェクトでは、第一に、独自開発のGPS携帯で参照、送受信も可能なGoogleMaps(電子マップ)などのWeb2.0 系の技術を利用して、学生主導で「街作り拠点」(情報共有と人的交流のプラットフォーム)をインターネット上に構築してきました。第二に、それを利用して発見・特定された街作り課題の解決に大学と地域が連携して取組み、その両方の実践を通じて、地域への貢献と社会的活動に根ざした新たな情報教育を実現する活動を行っています。
今回のシンポジウムでは「パネルセッション」としてまず、本プロジェクトのこれまでの活動を報告した後、本プロジェクトに関係の深いまちづくりの活動を展開されているNPO法人や大学の方々に、活動や本学との協働プロジェクトなどを紹介して頂きます。以上に加えて、「パネル展示」として、環境情報学部の現代GP関係の各研究室、および学生による地域や地域とICTに関連した研究、実践、システム開発のパネル展示も行います。
このシンポジウムを通して、将来的な地域、行政、他研究機関とのコラボレーションの可能性をひろげることができましたら幸いです。街づくりや地域情報、地域環境、Web2.0系の技術、学生の地域活動、こうしたことに関係した学習環境のデザインなどに興味のある方はぜひご参加ください。
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上野直樹先生の「社会的アーキテクチャ」をキーワードとしたプレゼンテーションは面白かった。アレクサンダーは建造物や空間デザインは人々の行動や認知を規定するまさに「アーキテクチャ」だと述べているが、これを(東浩紀さん、濱野智史さん、レッシグなどをひきながら、)情報システムもまた社会的アーキテクチャであると展開されていた。

特にWebシステムは、分散的なローカルどうしのサイトや人々の繋がりを可能にするものとしての社会的アーキテクチャである。またさらには、何かをデザインするということは、不可避に社会的アーキテクチャをデザインすることになるという。

NPO法人 I love つづきの岩室晶子さんは、以前DEE(教育環境のデザイン分科会)のシンポジウムでもご登壇していただいている。

現在 I love つづきでは、「ウエブタウンつづき3.0」と題した取り組みを行っているとのことである。これは街の人材、産業、環境などの地域資源を掘りおこし、多様でこれまでにない雇用または働き方の創出を手助けするというものである。

「仕事はあたえられるものではなく、みずからつくりだすもの」とは岩室さんの談であるが、豊かな発想である。またそのために、地域に関係する人なら誰でも机1つを安値で借りられるような場(職場)作りも実現しようとしている。このような場作りは面白そう。様々な価値観や軌跡を持った様々な人たちが机を並べている場から生じるアイディアや実践、この創発性はよいのではないだろうか。

また横浜コミュニティデザイン・ラボ常務理事/ヨコハマ経済新聞編集長の杉浦裕樹さんのプレゼンの中にあった、「他人ごとー自分たちごとー自分ごと」のコンセプトも響いた。これは「自分ごと」である「関心」を通して、「同じ関心」を共有する「他人」とのつながりを形成することを目指すものである。そうして、価値ある人、組織、拠点、プロジェクト等の「所在情報」を社会の「共有財」として、「自分たちごと」とする取り組みである。

関心でつながる小さな社会集団という考え方は今日的であり、また実社会もそのような状況に移行しつつあると思う。

加えて杉浦さんは、「できるだけ狭い空間での情報発信を考える」というアイディアを前面に押し出す方であった。これもまた面白い。TVをはじめとするメディアは広い空間に等しく情報発信することを目指すが、一方で(全てではないが)Web環境がそうであるように、狭い空間での情報を介した繋がりの形成は興味深い。

納得研究会

土曜日午後は青山学院大学で開催された納得研(納得研究会)に参加した。吉岡有文先生が、青学大学院社会情報学研究科の「イノベーション・スタジオ」を予約してくださった。イノベーション・スタジオは空間アレンジの自由度が高く工房的な学習環境には非常によさそうだ。

2件の報告を拝聴した。

1つ目は、山村明子先生(東京家政学院大学)による「ファッションとジェンダー規範」。ジェンダー規範をファッションの形式の歴史的変遷の中に探る試みである。

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19・20世紀に形成されたファッションにおけるジェンダー規範が変わりはじめ、例えば近年のメンズファッションが女性的なデザイン要素を受容しはじめている。ジェンダーフリー教育との関連でジェンダー規範の具体的変化について紹介する。

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1990年代以降フェミ男が着目されてから、男性の服装の流行に女性らしいファッション=「フェミニンなもの」が取り入れられるようになってきた。柔らかさ、流動的なラインなどの要素を含むデザインの衣服を男性ファッションが取り入れるようになったのだが、それを2000年以降のメンズ雑誌(主にMen's non-no)の中に探っていこうという取り組み。

男性がフェミニンな衣服を着用していると聞くと違和感を持つかもしれないが、例えば花柄のシャツや巻きスカートのようなもの、丸みを帯びたデザインの衣服の方がコジャレたお店には多いのかもしれない。ちょっとおしゃれに気を使う男性なら、必然的に「フェミニンなもの」を取り入れることになっている。

山村先生によれば、この「フェミニンなもの」は、実は12世紀から13世紀移行の欧州貴族のファッションにも見いだせる。例えばチュニックというスタイルもそうであったし、この頃の絵画を見ると男性(貴族)のファッションの特徴は「足を際立たせること」だったようである。

またアビ、ジレ、キュロットといった衣服に代表される18世紀のフランス宮廷ファッションも、レースの仕立ての飾りとか、流動的で柔らかいラインにあふれており、それは男性女性両方のファッションに共通していた。

この頃の衣服は「着るために支えてもらうくらいぴちぴちなもの」だったようで、リラックスできるものではなかった。非常にどうでも良いかもしれないが、このような衣服(衣装)の特徴はコスプレイヤーと一緒だ。コスプレーヤーの着用する衣装もまた、カメラの前であるポーズをとるためのもので、窮屈なものも少なくない。動きにくいし、それは普段着ではなく観衆を意識したファッションのデザインである。

そんな楽しいコスプレイベント会場のようなフェミニンファッションも、19世紀になると一気につまらなくなってしまう。テールコート、ウエストコート、ズボンといったものに代表される「ダンディ」が入ってくる。

これはフランス革命が関係しているらしい。フランス革命では、「キュロットを着用する貴族」が攻撃された。革命に参加したヒトビトは、革命が達成された暁にはぼくらはそんな格好(今からみたらフェミニンな格好)はしないぞと意気込んでいたとこのとである。

結果、フランス革命後は(以前は農夫が着用していた)長いトラウザーズがフォーマルな衣服としてランクアップし、黒を基調としたダークカラースーツが主流になってしまった。これが、スーツに代表される男性ファッションのスタートである。

ただし、先述したように2000年以降フェミニンな男性衣服がファッション雑誌をにぎわすようになる。カットワークの丸いラインがでてきたり、フラワープリントがでてきたり。もしくはウエスタンシャツ=ハードな形なのだが、それにキュートなデザインがほどこされていたりする。


ただしそれも、中世欧州の男性ファッションをみれば、デザイン的には新しいことではない!ということになる。


そして、男性のフェミニンも歴史、時代とともに変遷していくのが面白い。
男性が女性らしいファッション=フェミニンをとりいれはじめたのは90年代からだが、それは一部の華奢な体系、女性的な雰囲気を持ったリーダーが主軸だった。男性が女性性を取り入れている、という状況で見られていた。

一方でより現在に近いフェミニンは、華奢で女性的な体系のヒトだけのものではなくなり、ハードなものの中にフェミニンとみられるものが入っていたり、アンバランスが入ってきている(例えば体育会系の男性でも花柄を着るとか)。それはもはや「メンズファッション」であり、女性らしさを男性が表現しているものではないのである。

自分が所属する「男性」という集団のメンバーとして、これまで私がどのように「フェミニン」を取り扱ってきたか自覚的になったことはない。しかし90年代初頭と今とでは取り扱われている商品に込められたフェミニンも、私の獏としたフェミニンに対する意味付けも変わってきているのだろう。そのことに自覚的になれて、非常に面白かった。


...今度有元典文先生と花柄を購入してみようか。ということになった。ユニクロに花柄があるかが問題。


2つ目の報告は岡崎ちひろさん(横国院M2・中学校非常勤英語教師)による 「教員の熟達化を促す教員共同体のデザイン」。共同研究者の一人でもある。

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今日、教員の熟達化・専門化、「実践力」の向上が求められている。そこで教育行政は教職大学院や教師塾といった場所を設定し、教員の能力の向上を目指している。教員の能力とは何か?その能力を育む環境とは?本研究では、能力は個人的なものではなく、集合的な、共同体と切り離して考えることはできないものであるという観点から、教員の熟達性・専門性の捉え直しと、教員共同体の再考を試みている。「能力」「背後期待」「ベテランとアマチュアの見えの違い」に関心のある方は是非ご意見下さい。
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「教員の実践力、授業力の向上」が叫ばれていて、専門機関が様々な取り組みを行っているが、その多くが教員の能力を教員個人に還元してしまう「詰め込み型」になってしまう危険があるのではないかというのがこの発表の始点。

そしてそうではなくて、教師の能力は共同体に存在するものとして「集合的能力観」を提案し、そこから教員の能力の捉え直しと教員共同体の再考をこころみる実験であり実践である。

伝統的な見方では、「熟達教員」の頭の中には、教育実践で参照されるべき芳醇なリストが存在する。しかし、自分の行っている実践における技能を、リスト化することなどできるだろうか?

このような問いをたてた上で、例えば「女の子」はどのように「女の子」になっていくのか、という話題で例証しようとする。

どうしたら「女の子」になるのか、見えるのかをリスト化しようとしてもそれは難しい。無限にありすぎるし、常に女の子はこういうものだというリストを参照しながら行動しているわけではない。

一方で、同様に無限に存在する女の子としての「ルール違反」はよく見える。たとえば、ご飯をがつがつ食べる/下品なことを言う/足をひらいて座る...といったようなこと。ルール違反があるということは、ルールがあるということ。エスノメソドロジストのガーフィンケルはルール違反を通してルールをみようとして、そのルールを「背後期待」と呼んでいる。

この考え方を援用して、本研究では教員共同体における「背後期待」をさぐってみようとする。経験の長い教員は、自分のどのような行為が熟達を示す実践なのかを語る事はできないが、一方で新人教員の授業や振舞いにつっこみを入れることはできる。このつっこみが見られるということから、教員共同体にもある種の「背後期待」が存在するのではなかろうかと推測される。

そこで実験が始まる。ガーフィンケリングの実験。経験のあるヒトから見たらルール違反と見られるような言動を含むであろう、経験年数の浅い教師の授業実践ビデオにつっこみを入れてもらうことで、背後期待の可視化を測ろうとする。実験の様子は、まるで野球観戦をしているファンみたい。ヒッティングにでたバッターに、「そこはバントだよ」とツッコミを入れるような感じ。

新人の授業にも「そこはバントだよ」とツッコミが入る。例えば「フラッシュカードはスピードが命」とか「ここでほめないと」とか。ビデオの中の教員が、ベテランから見ると「教員らしく見えない」と見える。

そうして教師の背後期待を提示してもらい、かつそれを何らかの形で交渉の道具にする教師の共同体デザインが「実践力の向上」といった目標には必要なのではないかというのが本研究の主張の1つである。

何もベテランの提示するツッコミ=背後期待が万能なのではない(ベテランの方がツッコミ量は多いが)。どこかに固定化された背後期待が存在するわけでもない。それは交渉的なものであり、知識データベースではないのである。

むしろ、レイブ&ウエンガーの肉屋(の壁)の事例のような「背後期待」が共有されにくいデザインを変えてみたらどうだろうか。教員は忙しい。時間がなくって、また中には手の内を見せたがらない人もいて、他の教員と関わりにくい状況にある。とはいえ、現在の一部の実践力向上のための取り組みに手を入れる可能性は十分に指摘できる実践/実験だと思われる。

山村先生、岡崎さん、ありがとうございました!

文化庁メディア芸術祭

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研究会の前に、小一時間ほど国立新美術館で開催中の文化庁メディア芸術祭に行ってきた。

アート、アニメ、映像、ゲーム、ウェブ、マンガなどなどのジャンルの今年の受賞作品が一堂に会するイベント。入場無料ということもあって、結構なにぎわいだった。

入ってすぐのTouch the Invisiblesのヒトプチプチ感もたまらないし、moment-performatives spazierenの壮大なぱらぱらマンガにもやられた。

"moment"と"10本アニメ"の要素を組み合わせたら面白いかも。

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他のアートイベントで目にしたもの、はじめて見るアニメ、街やモノやコトの切り取り方、かなり刺激を受けた。こんなに豊かなアート作品にあふれ、またこんなに豊かにアートイベントができる国は、そうそうないと思う。

window traveling

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ケータイラボで一緒に調査や実践を行っている加藤文俊研究室の展示、window travelingに行ってきた。目黒の「やさしい予感」という古民家を改装したギャラリーで、小粋な展示の数々に刺激された。

研究会に参加しているので個々の制作履歴を知っているのだが、そのすべての完成形を目にすることができた。

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例えば川島史さんの「まちのマーチ」。極めて日常的な風景に見える商店街をまっすぐ移動する映像なのだが、すれ違うヒトやモノにそれぞれ特有の音を重ねる。人間の場合の音、自転車の場合の音、トラックの場合の音...それらのアンサンブルがまちのマーチとなり、当たり前の日常が音を通して再構成される。

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またOB展の大山徹さんの作品「NRTKO」では、東京の日常風景の昼夜の映像が、モニタの前に設置された東京タワー土産に仕込まれたセンサに反応して切り替わる。

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単焦点レンズにつきピントが手前の東京タワーにしかあっていないが、後ろのモニタに表示された「お昼の丸の内」が....

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フォトセンサを埋め込んだ東京タワー土産を手で覆うと「夜の丸の内」に切り替わる。

このwindow travelingは、あたらしいテクノロジーをてんこもりした作品を展示することが目的ではない。むしろ、誰でも使えるテクノロジーを使って、街をとらえなおす、街の再発見をうながす、街に対する新たな視点を構築する、そういったことを狙った展示になっている。

それゆえ対象となるモノ・コトにどれだけ愛着を持って、どれだけ丹念に記述し、どれだけ小粋で豊かに表現するかが強く求められることになると思う。私が見た限り、どの展示をみてもこれら全てがめいいっぱい詰め込まれている。

日常なんだけど、意外。そんな経験が目黒で実現されている。

はこだて未来大学

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校舎内のフロアが棚田になっているのにたまらない興奮を覚えるはこだて未来大学に、集中講義でノコノコやってきた。南部美砂子先生からのお誘い。南部先生、お世話になりました!

3日間連続で集中して授業を行うのだが、せっかくなので3日間(実質2日間)で何か形のあるものを残してもらうべく、グループワークを取り入れてみた。

後にも記すが、グループワークの「やりやすさ」にはびっくりした。1年生からすでにグループワークに慣れ親しんでいるのと、グループワークを遂行する環境(広い空き空間だとか)がそこかしこに存在していること。ヒト(学生さん)の素養と空間構造とがうまいこと調和している、相互作用している。

校舎の半分以上が「吹き抜けている」印象を与える学舎に足を踏み入れれば、あちゃこちゃが行き交っているヒトビトが否応無しに目に飛び込んでくる。建造物のそもそものデザインも秀逸だけれども、その中をアレンジしながら使うヒトビトの存在が、それを「手垢にまみれたデザイン」にしてくれている。

はこだて未来大学には認知科学会で訪れて以来だったが、そのときの「お披露目」感はなくなっていた。使われていく中で空間が再デザインされてきた印象を持った。

講義ではグループごとに2つの課題にあたってもらった。1つは「実践モバイルリサーチ」、もう1つが「行為と演技:実践エスノメソドロジー」。

実践モバイルリサーチでは、ケータイを調査ツールとして使ってもらった。グループごとに、ケータイの技術的な利点/制約を鑑みながら、何らかのデータ収集をしてもらう。例えば岩村暢子さんの「食ドライブ」のモバイル版だったり、街の中の「心地よい場所」を友達から聞き出したり、大学内の使いにくいものを探し出したり。

ケータイというツールの利便性をいかして、男女や地域で比較検討してレポートにまとめるところも多かった。また冷蔵庫の中身や財布の中身など、私的領域にを対象にしたグループもあり、これもまたケータイの特異性だと思う。

受講生は、授業時間外も含めてこのデータ収集作業、レポートまとめ作業にあたることになる。にもかかわらず、すんなりこなしてくれた。当然のこと...ではないと思う。限られた時間内でのグループワークがすんなり進行してアウトプットを出す点に無限に驚いた。

アウトプットの観点もまた良い。

もう1つの行為と演技:実践エスノメソドロジーでは、ガーフィンケルとゴフマンを中心に簡単に概観して、私たちが普段何気なく行っている事柄に含まれた「秩序」を意識し、それを映像化するというもの。

「恋人同士」の場合と「友達同士」の場合とでは振舞いが異なるが、私たちはその振舞いを通してお互いの関係をどのように理解しているのかを表明しあっている。

または例えばエレベーターに乗っているときに、見知らぬ他者が途中階で乗り込んでくる場合には、特有の言動がみられたりする。そうしてお互いに微細な行動の連鎖を通して、公的な空間であることの理解を表明しようとする。

様々な関係性や主体、状況を決めてもらい、そういった抽象的な事柄が私たちの視線なども含んだ言語的/非言語的な具体的な行為を通してどのように達成されているかをまとめてもらう。

これをガーフィンケルの違背実験、そして限られた時間の中での徹底的な観察を含めて、ある状況における私たちの「エスノメソッド」に関する映像作成にあたってもらった。できあがってきた映像作品はどれも秀逸。びっくりするくらい秀逸。こねたも入っていてこれまた秀逸。

1グループがyoutubeにアップしてくれており、掲載が楽なのでここに1つ貼っておこうと思う。先に例で示した大学内のエレベーター利用、これを観察して特徴的なエレベーター内エスノメソッドを映像にした作品。

「友達」「恋人」に見えるってどんなこと? 「好意」が見えるってどんなこと? 「男」や「女」ってどんな行為を通してみえてくるの?...こんな映像が19個集まった。激しく嬉しい。

はこだて未来大学:美馬義亮先生・美馬のゆり先生

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はこだてに来ている。美馬のゆり先生・美馬義亮先生とお会いした。佐伯先生が東大にいらした頃の研究会で遊んでもらっており、また学会などでご尊顔を拝することはあったものの、きちんと遊んでいただいたのは何年ぶりだろうか。

昆布の間の砂地にじっとして動かない根ボッケで有名なお店に連行していただいた。10年前と変わらぬユカイさで、10年前を激しく上回るユーモアと知性を目の前にして、生きる勇気がわいてきた。

はこだて未来大学で研究会を企画してくれそうな雰囲気になったのも嬉しかった。いろんな変な人を集めた研究発表会*宴会。年に2回くらいずつはこだて未来大を訪れる用事ができれば無限に嬉しい。

帰路、はこだての路面電車にも乗車できたし満足度の高い1日だった。