January 2012 Archives

十人十色ワークショップ

| No TrackBacks

DSC_0559.jpg


昨年末、ゼミの時間に法政大学の長岡健先生と、ゼミの学生さん3人に来ていただき、長岡先生考案のワークショップ『十人十色』を実施していただいた。


十人十色ゲームとは


長岡先生の十人十色ゲームのウエブページに記された「十人十色の解説」には以下のようにある。

-----
「十人十色ゲーム」とは、「他者の視座」に対する意識を喚起するきっかけとなる経験を提供するためにデザインされた、"ゆるやかな形式"のオープンソース・ゲームです。

ゲームのやり方はとても簡単です。「他人の好みの食べ物を予想する」、ただそれだけです。でも、実際にやってみると、予想はなかなか的中しません。...かなり親しい友人の選択を予想しても、その正解率は1/3程度です。それは、普段、友人たちがどんな食べ物を好んでいるかについて、それほど注意を払っていないことが影響しているような気がします。

3つの選択肢が目の前に提示されたとき、私はつい「どれにしようかな?」と考えてしまいます。つまり、無意識のうちに「自分」が私の思考の大部分を占有してしまうのです。...この、「自分」についての思考を優先してしまうという無意識の状態が、様々な状況において、他者とのコミュニケーションを難しいものとしているように思います。
-----


DSC_0548.jpg


仲の良い人たちどうしでグループを組む。そしてメンバーのひとりが、教室から出て廊下で「選択」をする。例えば、「今食べたいパスタ」を「カルボナーラ」「和風めんたいこ」「魚介のトマトソース」の中から選ぶ。教室の中に残った他のメンバーは、廊下に出た「友達」が「選ぶであろうもの」を考える。


これを繰り返す、非常にシンプル(だけれども複雑)なゲーム。


仲のいい人が選ぶであろう「丼ぶり」を「親子丼」、「かつ丼」、「天丼」から選択することなんて、簡単そうである。よく一緒にいる人が選ぶであろう「おにぎり(の具)」を「梅」、「おかか」、「こんぶ」からひとつ選ぶことも、非常に簡単そう。教室に残ったグループのメンバーは、廊下に出たメンバーが選ぶであろうモノを一生懸命に話し合って、自信満々に項目に丸をつける。


DSC_0562.jpg


が、しかし。これが面白いほどに当たらない。正答率は、偶然と同じく1/3程度。


面白かったところは、教室に残ったメンバーがかなり自信満々に3つの選択肢の中から、ひとつをチョイスするところ。彼(女)らにとっての全う(そう)な理由とセットで。研究室で寝食をともにし、かなり行動様式や性格などを把握している「つもり」になっていたとしても、意外に、当たらない。当たりそうなのに、当たらない。「ラーメン屋に行ったら何食べる?」なんて、かなりの高確率であたりそうなのに。


ちなみに、ゼミの学生に「目玉焼きにかけるのは醤油・ソース・ケチャップ」、「ポテトチップスを選ぶとしたらのり塩・わさびマヨ・コンソメ」、「鍋をおごってもらうとしたらしゃぶしゃぶ・ふぐ・すき焼き」という3つのお題で小生の嗜好/思考もゼミの学生全員にあててもらった。が、目玉焼きで正答率が2/4。ポテチと鍋はどちらも0/4。正答率2/12。


ひくいっ。


...もっと学生とコミュニケーションとらないとね...┬|ω・`)ショボーン
ということではなく、このゲームを通して、いかに「とるに足らないように見えること」がコミュニケーション上大事なことであるか、ということを嫌でも意識させられる。この十人十色のゲームは明確なこたえを持つものではないし、意識変化を促すためのものでもない。参加者がそれぞれコミュニケーションについて考えるきっかけになりさえすれば、それでOK(なのだと私は理解しました)。


ファシリテーターの長岡先生も、そんな言葉とともに、問いかけるだけ問いかけてワークショップをしめたところ、ゼミのメンバーは各自バラバラに議論やらをはじめだし、混沌とした場が形成されることに。「こんなこと学んだよね!」と、予定調和にまとめなくなるワークショップ。あえて「脱・予定調和」的に投げかけるだけ投げかけて放りっぱなしにしちゃうのが、長岡先生のワークショップ/ファシリテーションの特徴。


その方が、気になって帰路の電車の中ひとり考えることもあるかもしれない。私が今まさにそうしているように、ブログに書いちゃったり、twitterにポストしてみることで解消しようとするかもしれない。そんな脱・予定調和的思考を前提にして物事と対峙していくことは、もしかしたらその都度的な創造性を高めるかもしれないし、もしかしたら「型」を無視することで「楽」な生き方を生むかもしれない。


可能性を感じさせるワークショップだった。
十人十色ゲームはオープンソース。来年度の講義でも実施してみたいと強く感じた。



長岡先生、長岡研究室のみなさま、本当にありがとうございました!


フィールドノーツ研究会

| No TrackBacks

omikuji.jpg


新年あけましておめでとうございます。(・∀・)ノ



2012年、まずは「フィールドノーツ研究会」、俗称「勝手に『ウメサオタダオ研』」の企画を進めております。これは、日本科学未来館企画展「ウメサオタダオ展ー未来を探求する知の道具ー」を鑑賞し、感じた事を共有し、コメンテータを交えて学びを深める交流イベントです。東京大学の中原淳研究室と東京都市大学岡部大介研究室の共同企画となります。


http://katte2umesao.blog.fc2.com/



「人類学、またはフィールドワークという手法がもたらした学説の崩壊と再デザイン」について、様々な角度から考えて頂きたいと思います。「学説の破壊者」たる人類学的視点は、アンラーン(unlearn)=学びほぐしのよい機会になるかも?しれません。


参加者のみなさまには「ウメサオタダオ展」を鑑賞していただき、ワークショップ形式で展覧会を振り返るとともに、そのような人類学とは異なる学問分野でフィールドワークに従事する研究者を中心としたセッションも企画しております。そのプロセスを通して、フィールドノーツとは何か? そして、フィールドワークとは何かについて、先人の偉大な智慧に基づき、皆でディスカッションする機会を持ちたいと思います。



ちなみに、1月2日2:00amから【ETV特集】「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」の再放送がなされます。


http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605.html


ウメサオタダオ展は、2011年3月から6月まで、国立民族学博物館で開催されていました。その展示を鑑賞した企画者のひとり、中原淳先生のブログには、次のようにまとめられています。


-----
梅棹忠夫先生といえば、希代の人類学者にして、比較文明論、文明生態学を縦横無尽に 論じた「知の巨人」。
彼によれば、人類学の本質とは、下記のようなものになる。

人類学者は、つねに世界の各地におもむき、人間現象の様々なヴァラエティを探し出して、
それを極めて実証的な方法で研究し、記述する。

そして、それを、他の人間研究家たちの学説のまえに差し出してみせる。

人類学というものは、人類学以外の、人間に関する諸科学にとって、まことにイヤな存在であるかもしれない。どのような分野であれ、社会科学者、人文科学者たちが、自分たちの身の回りの人間を材料として研究し、その結果をまとめて人間に関するひとつのテーゼをたてると、それに対して、人類学者が、そのテーゼに合致しない実例を、世界のどこかから探し出してきて、つきつけるのである。そういう事態が、ほとんど例外なくおこるという覚悟をしておかなければならないのである。人類学者は、人間諸科学における「学説の破壊者」であり、「学説形成の妨害者」である。 (梅棹 1974)

なるほど、こうして見ると、学習研究においても、この事態は同様である。1980年代後半「情報処理アプローチ」あるいは「認知主義」という名のもとに追求されていた「人間の学習」に関する研究群が、いわゆる、「状況的アプローチ」とよばれる人類学の方法論を用いた研究群によって、強烈なアッパーカットを食らわされたことは、よく理解でき る。人類学は、「学習研究」においても、「学説の破壊者」の役割を無事果たした。
(nakahara-lab.net/blog/より)
-----



既に参加申込も〆切り、抽選を実施しました。
48名の定員をはるかに上回るご応募、ありがとうございます。あわせて、抽選に漏れてしまった方々、申し訳ありません。


当日は、水越伸先生(東京大学)、長岡健先生(法政大学)、染川香澄さん(ハンズオンプランニング)をお招きし、中原淳先生(東京大学)と岡部大介(東京都市大学)、そして参加者のみなさんとによるポスター/トークセッションを行います。


会場は福武ラーニングスタジオ。軽食をとりながら、オープンなディスカッションができればと思います。当日はust配信も予定しております。


この企画を仕切ってくれている東京都市大学環境情報学部岡部研究室の古川英幸さん、小林信明さん、安田駿一さんらとともに、新年一発目の企画を「怪しく楽しい」ものにしていきたいと思います!(・∀・)人(・∀・)