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ヤンエグはこだてへ

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あ"ーーーー。行った行った、確かに行った。函館行った。先月行った。街は奇麗だし、食い物はハゲウマだったし、南部先生、美馬先生、岡本ゼミの学生さんには無尽蔵にお世話になり、至れり尽くせりの集中講義だった。



はこだて未来大学での集中講義は、14日、15日、16日の3日間。グルワに取り組んでいただき、個人課題にも従事してもらい、なんとか様々な方々のおかげで3日間過ごす。


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初日のお昼ご飯。南部先生が調達してくださったはこだて未来大学そばの寿司ランチ!1パック500円は驚愕の値段。500円のレベルじゃない。うまい!


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14日夜に食した函館山麓の中華屋「うじうじ」も華々しい。量も質もよく、函館でこんなにおいしい中華をラフに食すことを全く想像していなかったため無限に感動。


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そして、去年から2年連続行っているヤンエグ寿司屋「梅乃寿司」。昨年度南部さんにご紹介いただき、その驚愕の寿司のうまさに、また今年もお邪魔した。1年ぶりの穴子、ほっき、中トロ、タコ...。


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さんざんたらふく呑み食いして、一人7000円程度。そりゃ高いけれども、同じ質/量を東京神奈川で食おうとしたら、桁が変わるはず(ヤンエグなのに都内でそんなもの食べたことないから、勘で書くしかないけれども)。



最終日、岡本ゼミの学生さんに連行していただいたスープカレー屋も秀逸すぎた。また来年もお声かけいただけたら、函館市内を同じルートで食して廻りたい。ヤンエグなので。


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教育心理学会

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毎年シンポジウムなりポスターセッションなりで参加している教育心理学会。今年は静岡大学で開催された。静岡駅周辺は、『静岡おでん』の屋台街や、狭い横丁も点在していて、赴きのある街だった。


主には共同的に研究、執筆活動をさせていただいている、横浜国立大学の有元典文先生のゼミと行動をともに。


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共同研究をしている郡司さん(横浜国大M1)と、お世話になっているネトゲ廃人(旧)の松田さん。どういう行為をなすことで、わたしたちは「恋愛感情」という不可視のものを相互行為上実体化しているのか、というテーマ。


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白百合女子大学の亀井さんから、「恋愛感情」や「性欲」が道具的に使われる集団をフィールドにしてみたら、とコメントをいただく。もしくは宮台さん的「制服少女攻め」で、社会問題からスタートしてみると、論旨が分かりやすいかもしれない、とコメントをいただく。


クラブ、キャバクラなどは、恋愛感情の出し入れが商売道具なわけなので、格好のフィールド。または、恋愛感情を噴出させるような文脈ではないだろうけど、合コンなどでのコミュニケーションもデータになるやもしれない。



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学芸大学博士課程の漏下先輩のポスター発表。


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久しぶりに会う方々と近況を交換することも、学会のたのしみ。

ヤンエグ

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質的心理学会に参加。「ユルオタ」を取り巻く様々な「社会的空間」を眺めながら、そのような「社会的空間」と「ユルオタ」というカテゴリまたはアイデンティティの不可分性について発表。



そしてヤンエグロードのはじまり。


会場は北海学園。12日はSFCで認知科学会にワークショップ企画として参加し、夜は湘南台の八田で打ち上げ。深夜に帰宅して、札幌と函館のパッキング。13日は朝5時に家をでて車で羽田空港へ。有元先生と修士の近田(イケメンのほう)と空港で待ち合わせ、6:40の便で札幌へ。


これみよがしに、へそから下の話があまりでない形のエージェンシー議論を有元先生とかさね、新千歳から電車にゆられて札幌へ。朝飯は電車内でご足労いただいてご購入いただいたウニ丼。



北海学園に9:35頃に到着。朴さんや茂呂先生の絡むシンポジウムを聞く。午後の出番でユルオタの生態系について、すごくオタっぽい甲高い声の早口でしゃべり、『マトリックス』や『攻殻機動隊』の祖、『ニューロマンサー』の存在を知る。読んでなかった。


15時半に学会会場を離れ、札幌の丘珠空港へ向かう。このへんでヤンエグっぽいと意識する。1日に2回、忙しく飛行機に乗ることで、ヤンエグと認識するみたい。ヤンエグなので、丘珠空港の搭乗待ちの時間には必要以上にラップトップのキーを叩く。


ヤンエグなのでPCではなくラップトップ。


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函館までの道内便に乗り込み、40分で函館空港へ。機内では爆睡。すぐにバスで函館駅前に抜けて、はこだて未来大の南部先生らと合流して「根ぼっけ」へ。


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イカはのどごし。消化に悪くて便をふさぐけれども、おかまいなしに激しく嚥下を繰り返した。明日からはこだて未来大学で3日間の集中講義。

納得研

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土曜日は納得研@青学に参加。報告はてんこもりで3件!


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報告1「情報デザインの要素を取り入れた教材開発と実践」
海洋科学高校 若林庸夫先生


グループで協力し、彼我の視点を交換し合いながら、茹でていないスパゲティを水平方向に伸ばす方法を考える、「スパゲティカンチレバー」という教材を実践した。コンピュータを一切使用しないが、「情報デザイン」という情報教育の一分野である。簡単そうに見える課題が、予想に反してうまくできないというギャップに直面し、生徒は「やり方」を考え、協力しながら改善してゆく。この過程では、「考え」をことばに表し、他人と共有することが必要である。


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報告2「Web 技術の学習環境のデザインの分析」
東京都市環境情報学部 上野直樹先生・ソーヤーりえこ先生


この発表では、まず、webシステム系の学生の報告やwebサイトの調査をもとにして、web系技術者のコミュニティに焦点を当て、社会的アーキテクチャとしてのWeb2.0の使用環境や使われた方を紹介します。そして、東京都市大で行っている現代GPによるWeb2.0システム開発プロジェクトについてのフィールドワークに基づいて、システムを開発した学生たちのWeb2.0技術の学習環境のデザインがどのようなものであったかを分析します。
更に、こうした調査の結果をもとに、状況的学習論の観点から、現代的なweb技術の学習環境のデザインを行うための観点を考えて見たいと思います。
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報告3 「最近読んだ「目からウロコ」論文」
佐伯胖先生


佐伯先生のコラムhttp://www.gshi.aoyama.ac.jp/より
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その中で、議事録メモに間に合った報告2と報告3について簡単にご紹介。あくまでメモ。


報告2:web技術の学習環境のデザイン


多分に示唆に富んだ研究。その中でも、webシステムをデザインしようとした(東京都市大学の)学生が、どのように(ギーク的な)「実践のコミュニティ」に参加して、「web2.0的なプロジェクト」に参加できるようになったのか?に関する発表のメモ。



学生のKさんは、ゼミに入ってきた際、JavascriptやPHPなどのプログラミングができたそうである。その「技術」や「知識」を持って1つシステムを作ることがゼミの課題となったが、半年たってもできずにいた。


実はこの時Kさんは、「自分一人の力」でやろうとしていたとのことである。それは古典的な学習方略のようであり、他のギークがよくやるような、「作りたいものに関連した情報を、web20のコミュニティからもってくる」、「関連したソースコードをネット上で検索して、そのソースコードを自分なりにカスタマイズする」という方略とは異なっていた。


Kさんはこういったギークが普通にやるような方略を知らなかった。しかしその後、サーバ構築の仕事が割り振られ、研究室の先輩二人と密に絡むようになる。Kさんは、先輩らとインタラクションを通して、ギークコミュニティがあたりまえにやるコーディングスタイル、特定のソースコードにアクセス可能になった。


その後も頻繁に研究会が開催され、Kさんはそれにもアクセスし、また、自分も講師として研究会に参加するようになっていく...



この事例は、以下のようなことを示していると言えるだろう。


1. 参加とアクセス
プロジェクトという実践への参加が、web2.0技術のリソースへのアクセスを可能にする。コミュニティ内で特定のポジションを獲得することにより、それによって様々なリソースにアクセスすることが容易になった。


2. テーマ設定とweb技術
webの技術的リソースは膨大で、リソースがどこかにおかれているというだけでは使う事はできない。実際にあるテーマに即して本格的にシステムを使った場合に、はじめて分かることも多い。


3. プロジェクトに埋め込まれた知識
開催された研究会は、一見、一般的なプログラミングの授業や講習と変わりない。でも、内容はあくまで進行中のプロジェクトに即している。例えば、研究会で学習された知識は、ただちに実践的に用いられることになる。よって、何のために特定の技術を学習するのかということの意味が、参加者に明示的になっている。



続いて佐伯先生のブログ「目から鱗」のメモ。


内容は佐伯先生のブログ記事が勿論分かりやすい。



私が興味深かったのは「模倣」について。ヴィゴツキーの(ZPDのいう)模倣は、表面的なミミッキングとは異なる。それは理解がともなった模倣である。


自分だけでは生じない。「あのようにするのがいいことなんだな」といったような理由付けだとか、根拠というものを感じ取りながら、模倣は生じる。


しかも、「誰かがやったこと」をその通り模倣するのではない。ある行為を模倣するには、どのように他者とインタラクションをとっていくのか、その他者とのコラボレーションをとれるようになる、そのコツを会得しなければならない。他者と関係を構築して交渉すること、これができるようになるコツである。


佐伯先生が留学中に経験したこととして、米国の大学での議論をあげていた。そこの場で何にも発言しないままでいると、完全に「ほされる」。彼らは考える先に口が動く。どうやって議論に入るか、割って入ってから言いたい事を考えるようなもの。


例えばそうやって、「インタラクションの仕方」を学び、それを模倣する。そっくりそのままサル真するのではなくって、「ああやって関係づくりをするのか」ということが模倣や(ZPDがねらったこと)で重要なことある。


#ここで見せていただいた「サル真似しないサル」と「猿真似する人間」のビデオが非常に面白かった。



大人が指示したことをそのままやった方が生きやすいという「客観的ZPD」というものがみえてしまう。「こういう時は、こういう場面なんだ」ということを理解して、その場の「お約束」を読み取ってとりあえずそれをやる。


その場の約束事の意味は分からないけれど、(意味が文化的に不透明でも、)その通りやっておけば間違いない、いちいち反抗することもないと仕向けられていく工程の中に人間はいる。模倣を通して人間は文化を真似していくのだろう。

複数のオーディエンスが実況中継をtwitter上にダダ漏れさせてくれる、On/Offともにモバイル社会研究所のシンポジウムとしては珍しい雰囲気が醸されていたように思います。朝からの雨で萎える中、広い会場を埋め尽くして下さった方々、無限にありがとうございます!


パネルセッションの実況中継:
http://search.twitter.com/search?q=%23msri



あらためて『電脳コイル』には、モバイル社会の、そしてそれだけじゃなくわたしたちの認識や知覚の捉え方に対して再編を促すタネが織りあわされていることに気付かされた。


言語や記号といった「心理的なツール」を開発して、それ越しに(のみ)見ることのできる現実世界を生きてきた私たちが、いまやモバイルテクノロジー越しに現実を見るようになっている様を『電脳コイル』は如実に表してくれている。


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#私のプレゼンでも用いた写真だけれども、アキバのヨドバシそばのマックでは、PSP越しに主に狩りをして楽しんでいる人々も少なくない。バーチャルを通してコミュニケーションをとっているのが自然であり、電脳メガネの1つのアラワレだと思われる。


磯さんは「仮想現実は数万年前からあったと言えるのではないだろうか」と述べていたが、磯さんの発話を私なりに解釈すると上記のようになる。日常的に、私たちは様々な(自分たちで作り上げてきた)ツールを用いて現実をデザインしようとしている。何かツールをデザインするということは、違う世界の見えを提供することだとも言えるかもしれない。



パネル1後半のテーマは「リミックス」として、MAD/AMVを軽く視聴することからはじめてみた。お題はLeave Britney Alone!



熱狂的ブリトニーファンのクリスが、PVなんかでマスコミにたたかれまくっているブリトニーの姿をみて、「もうほっといて!」というメッセージを自分撮りしてyoutubeにあげる。瞬く間にそれを引用したMAD/AMVが作成され、どんどん広がっていく。




しまいには、ただの熱狂的ブリファンのアマチュアの叫び元ネタとしたコマーシャルが制作されている。




若い人が手にすることが多い最近のケータイ小説やゲームやプリクラやMAD/AMVやらの「遊び方」や「意味」の議論が面白い。プラットフォームは共通のものとして多くの人が共有しているけれども、その上でどうやって「個性」をだしてやろうかと手練手管を見せつける。


『電脳コイル』でいえば、電脳メガネで遊ぶのはどの子供も一緒だけれども、ダイチの黒客クラブやフミエのようにハッカーとして生きようとする様がそう。


プリクラでもケータイでもポケモンのようなゲームでも、みんなおなじプラットフォームに生きながら、そこからどうやって「はずれる」ことで、教室やコミュニティで得るポジションや、他者との関係...といった「社会的なことがら」を手触り感のあるものにしようとしている。



またMAD/AMVは、それを作って楽しんでいる主にアマチュアにとっては、コミュニケーションをとるためのコンテンツである。アマチュアコンテンツを評価・分析対象とする場合、コンテンツだけを見てその出来の善し悪しから語るのは性急かもしれない。


アマチュアが作った(どうしようもない作品も数多く含む)リミックスコンテンツは、そういったMAD/AMVのプラットフォームで楽しめる人々のコミュニケーションの道具でしかない。ソーシャルコンテンツであり、作品の出来不出来どうこうということではないのかもしれない。


MADであれ同人誌であれ、二次創作≒リミックスは、その作品の周辺知識を共有していることが愉しみの前提である。こうしたプラットフォームを共有し、そのコンテンツをちょびっとだけいじって、僕はここが面白いと思ったよ!と話者に返している、そんな形でリミックスの文化的実践を捉えてみた。


これに関連して、磯さんの「引用元を探す人がオタクと呼ばれる人である」という定義が、とてもおしゃれだと思う。磯さんのあの落ち着いた味のある声で言われると、ビンビンきた。



壇上にあがってトークをしていると、全体としてどんな流れでどんな筋で話していることになっているのか、ほとんどキャッチアップできないということにはじめて気付いた。自分も会話に混じって話しているはずなのに、全くもって会話の流れを追うことができていない。


一方でフロアの方々はトーク内容をデコードしてくださっていたようで、何か筋が見えていた方も少なからずいたようだ。これまた不思議な体験。


#詳細なログもとれていないので断片的なまとめにしかなっていない。twitterでログをとってくれていた方々、ブログにまとめて下さっている方々に感謝しつつ記事を読んで、ようやく「こういう筋のセッションだったのか」と理解できた...

秋葉原ダイビル

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午前中から、NTT DoCoMoモバイル社会研究所主催「モバイル社会シンポジウム」の会場下見で秋葉原ダイビルに行ってきた。



現在、シンポジウムのパネルディスカッション1のキーワード抽出作業を続けているところ。飯野賢治さんや磯光雄さん、有元典文さんら登壇者にお時間いただいてお会いし、いただいた個別の「関心」とシンポジウムへの「期待」とをまとめている。


...が、難しい。相当難しい。あほほど難しい。



登壇者の方々とのメールのやりとり、またお会いして刺激を受けまくっている心地よさに溺れてる(私から登壇者に特段刺激を与えられていないのに申し訳ない...)。



白紙にして、まっさらにして臨みたい。「小粋な無の状態」でパネルディスカッションに臨みたい。...登壇者と話してそういう思いが強くなるものの、でも一方で、モデレーター役を私なりにバッチリ完遂しようと試みたところを見透かされていじられたい、いたぶられたい。


何を言っているのか分からないけれども、シンポジウムの申し込みは以下からお願いします。


http://www.moba-ken.jp/event/sympo0906

文化心理学コロキウム

白百合女子大学を中心に組織されている「文化心理学コロキウム」、次回は6月20日(土)に開催されるとの連絡を受けました。


次回講師は東京都市大学環境情報学部の上野直樹先生。



● 日 時 :2009年6月20日(土)

文化心理学コロキウム:午後1時〜3時
乳幼児発達研究会  :午後3時半〜


●場所:白百合女子大学 3号館3201教室(変更の場合、当日3号館入り口でご案内いたします)


●発表

 文化心理学コロキウム

・発表者 :上野直樹 先生(東京都市大学)

タイトル:「ドキュメントのデザイン」

概 要 :状況論的なアプローチに従って、認知心理学の伝統においてほとんど考慮されることがなかったリスト、記録、文書といったものが埋め込まれている社会的ネットワークや実践がどのようなものかを具体的な事例にもとづいて見ていくことで、リスト、記録、文書といったものの意味を問い直し、こうした人工物のデザインのあり方についての指針を示す。


 乳幼児発達研究会

・発表者:矢澤圭介 先生(立正大学社会福祉学部)

題 目:学習を社会的出来事として捉え直す-- 子どもの学習と大人−子ども間相互交渉 --

要 旨: 「大人が教えることは、子どもの学習に不可欠か?」と問うと、保育者養成校2年生の約8割以上が「不可欠」と答えます。教えるべき知識を持つ大人と、空っぽの頭をその知識で充たすことが求められる子ども、という学習観は広く浸透していることが分かります。どういう学習観を持つかが、子どもとどう関わるかを方向づけます。ここでは、既存の学習理論がどんな大人−子ども間の相互交渉を想定しているかを整理し、また、筆者の保育園でのエスノグラフィーの一部を報告して、学習を社会的出来事として捉え直す必要について問題提起します。


*研究会終了後には、懇親会を予定しております。


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乳幼児発達研究会事務局 田島信元 小島真紀子
lifespan[at mark]shirayuri.ac.jp

モバイル社会シンポジウム

http://www.moba-ken.jp/event/sympo0906/sympo0906_program


6月6日に秋葉原でモバイル社会シンポジウム「ユースカルチャーの生態系」でパネルを行います!



「生態系」という言葉は、パネリストのお一人である濱野智史さんの著書、『アーキテクチャの生態系』から拝借しました。


パネル1では、アニメやゲームなどのカルチャーに焦点をあててディスカッションします。『電脳コイル』の磯光雄さん、任天堂wii『きみとぼくの立体。』の飯野賢治さんをお招きし、横浜国立大学の有元典文さん、カリフォルニア大学アーバイン校の伊藤瑞子さんとともに語ります!


私はモデレータですが、激しく興奮してます。



パネル2では、近未来のケータイ社会を情報環境、ガジェット、生活者、場所から眺めてみようと思っています。


ガジェット文化から安藤幸央さん、社会情報学から濱野智史さん、女性や子供の視点から山本貴代さんをお招きし、小川克彦さんコーディネイターで、現代のケータイ生活やケータイ社会を眺め、近未来の課題やサービスについて議論します。



激しくたのしいシンポジウムになると思いますし、します!


ご関心ある方は、是非事前登録をお願いいたします。


http://www.moba-ken.jp/event/sympo0906

9月20日から22日まで開催される日本教育心理学会のシンポジウムで、司会の任をまかされました。シンポジウムの概要は以下の通りです。司会は話題提供者の方々に好きな事を聞けるし、フロアとの議論を仕切れるし、結構好き。



教科学習での「体験」 :学校における体験と学びを考える

企画:
有元典文(横浜国立大学) ・文野洋(浜松学院大学)

司会:
岡部大介(東京都市大学)

話題提供:
黒田真由美(京都大学)
今井一仁(福岡教育大学)
岡崎ちひろ(横浜国立大学)・有元典文(横浜国立大学)
城間祥子(愛媛大学)・茂呂雄二(筑波大学)

指定討論:
佐伯胖(青山学院大学)

企画趣旨:
一般に、教科教育における学習では、生徒が当該の教科に関連する知識やスキルをいかに獲得するかに焦点があてられる。その獲得に至る過程では、この授業で何をどこから学ぶのか、今は何をする時間なのか、といった授業場面についての理解が、生徒と教師との間で相互に交渉されているだろう。この授業場面の理解のズレと相互交渉は、教員や生徒が授業を異なる形で「体験」していることを示している。ここに、教科学習の授業を「体験」の視点でとらえる意義があるように思われる。そこで本シンポジウムでは、英語教員との相互交渉を通して子どもが抱く違和感、算数の「体験」を考慮した授業デザイン、英語の授業場面における新人教員と古参教員の「体験」のズレ、伝統芸能の実演家との協同で実施される授業での学び、をテーマとした研究事例の報告をもとに、教科学習を「体験」の視点からとらえ直す。そこから、学校教育における体験と学びについての議論を展開していきたい。



体験、技能、授業実践、授業デザイン、教科教育、相互交渉...といったようなことばにどうしても身体が反応してしまう方々は是非ご参加いただければ幸いです!

文化心理学コロキウム

京王線の仙川から徒歩10分、白百合女子大学で開催された文化心理学コロキウムに参加した。


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白百合女子大学の心理系は、「生涯教育発達センター」を組織するなど、発達心理学に非常に強いところである。キャンパスは緑が多く、エントランスからの道のりも建物も瀟酒で、無限に「行き届いた感じ」がした。歴史は古いが汚れていない、そんな大学構内だった。


発表者は『デザインド・リアリティ:半径300mの文化心理学』を著した有元典文先生で、今回は朝倉書店から出版された『文化心理学』の内容に関する講演。




講演のタイトルは、「心理学の文化心理学化に向けて」。まずは主体である人間を観察する際、個人の皮膚の内側ではなく、個人を取り巻く「文化」とセットで捉えていく視点が確認される。


その1つ目のデモンストレーションが、電球。問いは、「なぜ電球は輝くのか?」


勿論、電球が輝く物理学的な説明がありうるだろう。ただし、江戸時代では自分の家で白熱電球はつかない、なぜなら電球がつくためには、当然発電所や配電に関するインフラや公共料金徴収のシステムといったような、社会文化的なメカニズムが必要だから。電球がつくには、その物理的な理由に加えて、インフラなど「周り」もセットで考えなければならない。


そして怒濤のデモンストレーションが続く。「定規を使わず10cmの線をひいてみよう。」...6割7割くらいの参加者が±1cmの幅で描ける。でも世界基準のメートル法が構成される1791年以前は、10cmの感覚を持つ事はできなかった。


人間にはもともと統一の規格がなかったけれども、後天的に、長さに関する共通基準の感覚=能力をインストールしたことになる。そもそも持っていなかった人間というハードウエアに、共通の長さの感覚に関する能力をインストールしたのである。


秒のような時間の感覚も同じ文化に生きる人なら共有できるし、音階なんかもそうだろう。そういった私たちが普段無自覚な文化的ソフトウエアのデモンストレーションを繰り返しながら、私たちが猛烈に文化的な存在であることを説明していく。


生まれつきの人間には、長さを測る能力も、時間を計る能力も、音階を聞き分ける能力もなかった。だけれども、プロトコルがどんどん編み合わされていく、私たちはそんな文化的ロボットなのかもしれないという思いに至る。


電球が光る理由を電球の内側のことだけにみるのではなく、電球を取り巻く社会文化的な仕掛けとセットで考えてみる。私という個人を見る際に、私の皮膚の内側だけではなく、私をとりまく社会文化的な仕掛けとセットで考えてみる。



このウオーミングアップに続いて、朝倉書店の『文化心理学』の章のメインでもある「犬の本性」の話へと続く。人間にペットとして飼われる犬は、人間と暮らす限り、日々コンクリの階段の昇降をしたり、車の助手席に乗ったり、室内での躾の機会にさらされる。


こういう日常を経験する限り、犬の本性は、その犬が人間と生きる社会文化的条件と切り離して考える事ができない。どこまでが「本質」でどれが社会文化なのかは切り出して考える事はできない。



これは人間でも同じであろう。日常素朴には、男の子は「男の子のような遊び」が好きよね、という話は保育園幼稚園でよく耳にすること。このとき生まれ持った「男の子」の本性のようなものが顔を出しているわけだが、実際はトイザラスで男の子コーナーに連れて行かれたり、ちょっとやんちゃな遊びをしても注意されなかったり、ズボンを日常着用すること...を通して男の子は「男の子のような遊び」をするようになる。


ちょっとしたインテリ層なら、男の子(らしさ)や女の子(らしさ)は社会的に構築されてるんだと言うこと=性別の脱構築は容易だろう。だけれども、だからといって「安定した現実」になっている男の子(らしさ)や女の子(らしさ)を日常生活で私たちはドラスティックに(思い切って)変えようとしない。


男の子だからズボンというのはおかしい、そうすることが男女差別だと言い放ってスカートをはかせたりすることは、かなり少ない。思想としては性別の脱構築ができても、実際は「安定した現実」の許容範囲内で日常を過ごしていると思われる。


そう考えると、「安定した現実」は強い。この「安定した現実」が社会で流通していることが重要であり、そういった現実を共有できていることが、ある文化に生きることなのだろう。「本質は無い」とうらぶれた脱構築をするのではなく、安定した現実化するということが、われわれの本質なのかもしれない。



とはいえ、私たちは「安定した文化」を遵守するだけの存在ではない。私たちは、安定化した現実を生成する=本質化するために、いろんな道具やインフラを設定したり、場合によってはルールのようなものを広めたり、語りあったり、ひろめあったりする。


そのまた一方で、日常的な語りや行為を通して、安定した現実をちょっとずつ再デザインしようとする存在でもある。これは白百合女子大学の宮下孝広先生のコメントでもあり、有元先生や私も全く同じ考えだ。


例えば私の時代は男の子のランドセルは黒色以外ありえなかったが、それも今はパステル調の青でも「男の子らしさ」とみなされる。


電車の中でポータブルゲームに興じる女性は、DSのデザインや脳トレのおかげもあって、「女性らしさ」の範疇から除外されるものではなくなった。これは日々の素朴な私たちの行為とインタラクションの積み重ねで変化する「現実の安定化」だと考えられる。


そうなると、文化や文化的実践はいつも試されている。いつも誰かが修正しようとしていたり、一方でノスタルジックに変えないようにしたりというように、文化とは「運動体」として捉えられるのではないだろうか(という指摘が有元先生の主張)。



2時間の枠は、本当にあっという間だった。通底した議論:「本質」と「文化」論争はかなり考えさせられた。貪欲に刺激を生み出そうとする人々で構成された研究会は常に面白い。企画にご尽力された東洋先生、田島信元先生、小嶋さんはじめ白百合女子大学の方々に激しく多謝。

知覚の文化的デザイン

9月10日、11日、12日と認知科学会第26回大会がSFCで開催されます。


そこで、以下のワークショップを企画しました!無事学会にも採択され、違いの分かる人のしぶい企画内容が実現しました。エスノメソドロジー、アフォーダンスの理論の領域を代表する西阪先生と三嶋先生ご登壇です。




昨年同様「アフタートーク」という名の宴会も実施しますので、9月12日土曜日、是非ご参加下さい!


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企画表題 知覚の文化的デザイン
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日本認知科学会第26回大会
9月12日16:30〜18:00@慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス
http://www.jcss.gr.jp/meetings/JCSS2009/index.html
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企画趣旨
心理学では、生活体が感覚受容器を通じて自己および外界の様子をとらえる働きを「知覚」と名付け、これまで研究の対象としてきた。目で見ること、舌で味わうこと、などの感覚受容器を用いたのプロセスを切り詰めた概念が知覚である。知覚という概念の前提には、知覚対象としての実体の実在がある。つまり知覚ということばを使ったときから、知覚される外界や自己の状態が、知覚そのもののの働きとは独立に実在することとなる。ゲーテの色の知覚に代表されるような実験現象学的な初期知覚研究は、知覚プロセスの外にある実体を感覚器官と中央神経系の活動がどう経験するかの研究であったと言える。一方印象形成や偏見、ステレオタイプなどの事態を対象とした社会的知覚(social perception)研究では、知覚システムを身体の外に拡張してとらえている。こうした社会的事態における行動の解釈は、生活体内部の知覚システムだけでは説明の出来ないことである。そうした知覚システムの説明の拡張はあったものの、しかし知覚可能な対象としての社会的事態が、知覚そのものの働きとは独立に実在する※点では、初期知覚研究と同じ構造を持つ。(※ 研究者がそう仕組んでいるのだから当然だが)以上のように知覚は生活体の外部から内部への、意味・価値の引き込みとして理解されている。またそのことで、生活体の外の実在が保証され、また知覚する生活体自体(コギト)の実在も経験される。知覚と世界と私はもとの安定に収まり、つまり心理学における知覚研究は一周してふりだしにもどる。
だが安定は不安定が見えていないだけのこと。複数の生活体の間では、思い起こしてみれば知覚は衝突と調整の連続であった。知覚は身体的で安定してほんもののようだ、と思えることのメカニズムを丁寧に精査してみたい。それには一定の文化的なデザインの仕組みが関わっているだろう。エスノメソドロジー、アフォーダンスの理論の領域を代表する話題提供者から、知覚の生成のプロセスを報告頂き、議論したい。
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(敬称略)
企画:
有元典文(横浜国立大学)・岡部大介(東京都市大学)

話題提供:
話題提供1 西阪仰(明治学院大学)
話題提供2 三嶋博之(早稲田大学)

指定討論:
青山征彦(駿河台大学)
土倉英志(首都大学東京大学院)
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納得研究会

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ほぼ月1回のペースで開催される納得研(納得研究会)に参加した。年内最後、かつ船上(晴海に停泊中の「大成丸」という実習船、メンバーの熊田キャプテンのおかげ)での開催ということもあって、25名の出席者。すばらしす。研究会のあとには船内見学もあり、充実した1日だった。

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研究会の報告の1つ目は、共立女子短期大学看護学科の佐藤和子先生「新卒看護師の初期看護業務習得過程に影響を及ぼす要員」。以下佐藤先生からの発表概要。

------------------ 新卒看護師の早期離職が課題となり現任教育に関する改善や職場の改善などに 目が向けられるようになり、対策がとられてきている。しかし、新卒看護師自身は、どのように受け止められているのだろうか。実際の職場では、先輩看護師やプリセプターとの人間関係、職場内の雰囲気や受け入れ状況が新人看護師を取り巻いており、職場適応に大きく影響していることが予測される。そこで、「臨床現場」で新卒看護師はどのように看護業務を習得しているのか。 その習得過程に対して、どのように思い、どのように見られていると感じているのかなど、新人の視点から考察することにより、職場環境がもつ潜在的な要員を見いだすことが出来るのではないかと考えた。そこで、具体的な看護業務習得過程を分析し、新人がそのようにその経験を受け止めているかを理解することにより、職場内教育のあり方や職場環境について検討することを目的とする。 ------------------

例えば新米看護師は検温などの素人目には「易しい」業務にあたる。しかしそんな検温ひとつとっても、個々の病院にとって違いがある。薬品を置く場所、身につけるものの種類や場所など、一見瑣末な事柄にも見えるが、それが個々の病院によって異なっている。そういった日々のあたりまえもまた、看護師がその病院の風土にどれだけ馴染んでいるのかを示す指標となる。

また、新米看護師と患者との検温場面の会話も興味深かった。患者も病気や病院に慣れてくると、看護師が確認する項目以上の情報を提供したり、看護師が尋ねる前に自分から情報を看護師に伝えたりする。会話のターンテイクの主導権が患者にあるようにも見える。

そのようなやりとりの逐語を見るに、「新米看護師」というものは、患者との会話を通してによって「新米」にさせられているようにも見える。新米であることは、特定の個人の内的属性ではなく、インタラクティブなものであることがよく見て取れた。

もうひとつの報告は東京学芸大学連合大学院の名取洋典さんによる「『動機づけ』とは何であったのか」。以下引用。

------------------ 精神分析学の脅威に対抗するため心理学が作った「動機づけ」の概念は殊に学業場面において「内発的」で「熟達志向」なものをもつことがよいとされるに至りました。すなわち「関心・意欲」は評定するものとなりました。この経緯に加えて近年注目が集まっている「自動動機」について触れることにより特に「質問紙によって自己報告される『動機づけ』」とは一体何なのかについて考えていきたいと思います。 ------------------

これまでの心理学における動機付け研究のレビューを見るにつけ、私たちがいかに日常的に「動機」とともに生きているかのように構築されてきたがよく分かる。

議論で面白いと思ったのは、例えば内発的動機付けのパフォーマティブな側面。それは人間の内からむくむくとわき上がってくるものというよりは、極めて社会的なコミュニケーションであるという側面。

名取さんはサッカークラブで子どもに指導をしているが、そこで子どもに「もっとやる気をみせろ」といったようなことを言うと、「アピールしていけばいいのね」という返答がかえってきたりするとのこと。この子どもは内発的動機付けのゲームにみごとに参与できているように見える。何をしたらやる気があるように見えるのか、動機付けられているように見えるのか、それを行為とともに示そうとしている。コーチである名取さんもその行為を見て、「動機付けが達成された」と認識してしまう場合がある。どうやら動機付けとは極めて相互行為上達成されるものであるようだ。

夕方、船内を様々見学した。キャプテンの部屋、シミュレーションルーム、機関室、デッキ、食堂、操舵室などなど。

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若林さんに招きいれてもらった舵をコントロールするための油圧機。

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実習生が甲板を磨き上げるためのココナツたわし...。

非常に有意義な一日でした。みなさま、よいおとしを。来年2月にまたお会いできればと思います。

フォイエルバッハ研究会

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横浜国立大学の金馬先生、有元先生ほかによる『フォイエルバッハ研究会』(とりあえずの命名)に参加した。26歳のマルクスが自分用に走り書きしたメモ、通称「フォイエルバッハ・テーゼ」をいろいろと読み込む研究会となった。

金馬先生、お忙しい中ありがとうございました!

■以下、研究会のメモ書き。

なぜ今マルクスなのか? しかもなぜ「フォイエルバッハ・テーゼ」なのか? それは、びっくりするくらい活動理論や状況的学習論、もしくはヴィゴツキー派のものの見方やにマッチするから。例えば以下のフォイエルバッハの第1テーゼ。

「これまでのあらゆる唯物論の主要な欠陥は、対象、現実、感性がただ客体の、または観照の形式のもとでのみとらえられて、人間の感性的な活動、実践としてとらえられず、主体的にとらえられていないということである。そこでこの活動的な側面は、唯物論に対立して、観念論によって展開された。」

マルクス以前の哲学では、人間の活動的側面をとらえられないでいた。社会は人間の具体性を持った活動と実践から成り立っているのに...。ヴィゴツキーの言葉ですと言われたら、ハイそうですね、と思ってしまうだろう。研究会の教材となった高田求さんの『マルクス主義哲学入門』によれば、人間の活動とは以下のように定義されている。

人間の活動は、...感性的、物質的な対象をつくりだす実践的活動(「対象的活動」)ーすなわち、労働、生産、産業ーこそが「人間の活動そのもの」の基本なのです。

実践的活動からはじめる状況的学習論もまたマルクス哲学同様に唯物論。おそらくめたくそに唯物論。実践性を超重視する唯物論。有元先生の談を借りれば、PUFFYがいいなと思ったらその源流はビートルズでした、というように、ジーン・レイブがいいなと思ったら源流はマルクスでしたという感じ。思想の樹系に関する表層的な知識をやっと少し払拭できてきた。

またマルクスは第3テーゼにおいて「環境の改変と人間の活動、または自己変革とがひとつのことだということは、ただ革命的な実践としてだけとらえられ、合理的に理解されうる。」とメモしている。ここから、人間は環境と教育によって左右されるものであり、したがって人間をかえるためには環境と教育をかえねばならないという唯物論的な系図が見えてくる。

学習環境のデザイン! と思ってしまうわけです。学習のコンテクストをどのように構築するか、ということは、人間のアイデンティティや能力の可視化と不可分なのものだ、ということをさんざん問うてきたわけです。その源流はこんなに奇麗につながっていたのかとびっくりする。ただしこれは社会主義的な社会の構築に向かう労働者への期待であり、労働者が実践的活動によって環境を変え、自分自身も変われるのだということを見通すもの。

そしてまた重要な点は第11テーゼにあるように、

「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきた。かんじんなことは、世界を変革すること。」

...古い秩序の打倒=少数の支配者層をてっぺんにした、中間層、労働者層の三角形を、労働者が支配者層の上に立つ逆三角形のような社会に変革すること、このために行動すればいいという展望である。これははじめて哲学が世界を変革することができるとなったことを示している点でも重要。それまでのものの哲学は意味が無いともみえてしまう感じ。

金馬先生のご専門の一端は戦時下・戦後の日本教育史で、その中でマルクス主義やヴィゴツキーなどがどのように「翻訳」されてきたかを問うもの。金馬先生の話をうかがうと、ヴィゴツキーはこれまで多様な読まれ方をしてきたということが分かる(佐藤学先生が日本におけるヴィゴツキーの日本的解釈について書いていて、それに詳しい)。それはマルクスの当初の読まれ方にも似ている。ヴィゴツキー理論は、主に教育学で系統学習論、科学教育論を担保するための資材として用いられていたこともあったようで、例えば今日のエンゲストロームによるヴィゴツキー解釈のみが正統派ということでもないようだ。

あのZPD(発達の最近接領域)もそうかもしれない。子供をスモールステップで育てていくアイディアは、ピアジェとタグづけて記憶していた。しかいヴィゴツキー理論もまた、形式的教育の燃料として用いられていたことになるのかもしれない。私が「ヴィゴツキー理論」と聞いてイメージすることがらは、柔軟に再解釈され続けてきたヴィゴツキー理論の1つの側面ということになる。

例えばエンゲストロームなどは、矛盾を許さない予定調和的な教育(や政治など)ではなく、異質な人を出会わせるとか、異質な学校と現場をつなぐとか、そういった実践の展開のためにヴィゴツキー理論とともにユニークな実践を展開してきている。こういった私が聞きかじったヴィゴツキーの解釈は、実は再解釈の過程のものだったとはじめて知ることになる。
ーーーーー
■以下は覚え書き程度。
フォイエルバッハの第6テーゼ「人間相互のこのつながり、これこそ社会とよばれるものの基礎をなすものであり、...人間の本質の現実の姿は社会的諸関係の総和(アンサンブル)である。」...アクターネットワーク理論じゃん! カロンじゃん、ラトゥールじゃん!

めためたな構造主義的解釈→ものを媒介しないと人と人はかかわれない。今の社会では、商品が独自に運動している。人と人との関係はものとものとの関係として現象している。自分が何かものを売って金儲けしたいということじたい、実は社会の構造に埋め込まれている。(物象化論、あるいは疎外論)何かものや考え方がある場合、それに対立するものをたて、それらが反駁しあうことによって、新しいものが生まれるという発想にしても、実はヘーゲル的弁証法。金馬先生によればそう定式化してしまうと単純すぎて、もう少し複雑なはずではある。矛盾が、対立が現実に含まれていて、それを歴史的にみると、いい部分をとりあって、悪い部分を捨て合って、新しいものを生み出し続けてきた。これこそがアウフヘーべン(止揚)。矛盾とか対立がないと発展はない、なので社会の矛盾が何なのかと見つけて働きかけようとする実践が重要ということになりそうだ。

ちなみにマルクスとエンゲルスは仲良しだけど若干主張と性格がちがう。マルクスの私生活はうまくなく、エンゲルスが生活の面倒をみたとのこと。当該の「フォイエルバッハ・テーゼ」も、マルクスが書いたフォイエルバッハのメモを発見して、エンゲルスがそれに手を加えて自分の『フォイエルバッハ論』という本に載せたものだという。

第5回国際シンポジウム「新しい学びの挑戦」

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CHAT(関西大学人間活動理論研究センター)主催の第5回国際シンポジウム「新しい学びの挑戦」に参加してきました。JR東京駅 日本橋口すぐのサピアタワーにある関西大学東京センターにて開催。すごい瀟洒なビルだし、入館管理がsuicaって、いいな。9Fから眼下にはJR各線が広がってるし。

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テーマは、「日本とフィンランドにおける教育の変革」なのですが、フィンランドネタは午後からで、所用のため午前中のみ参加。宮崎先生(早稲田大学)、大島先生(静岡大学)、白水先生(中京大学)、比留間先生(関西大学)、山住先生(関西大学)の5人で行う共同セッションでした。午後には、ヘルシンキ大学の Jaakko Virkkunen 教授と Pirita Seitamaa-Hakkarainen 教授の基調講演が予定されていました。

中京大学の白水始先生のプレゼンテーションをはじめて拝聴することができた。中京大で三宅なほみ先生と一緒に行っている認知科学系の授業内容の理解を促す道具のデザインの話でした。レクチャーはダメ、じゃなくって、レクチャーもいい!というのがこのデザインのスタートにあるようです。

通常の大学講義では、講義後に振り返りシートに感想や疑問点などを書かせても、先生が喋ったネタとか、先生が最後に出した結論部のスライドの内容を書いて「面白かった。」と書くだけ。なんでそんな結論になったのか、というようなプロセスは大半の学生は不問。これは多くの大学の先生が遭遇している状況だと思います。

白水先生は、講義を全部ビデオにとって、それを何分かのビデオクリップにして、学生それぞれにひとつのクリップを担当させる。学生は各々ビデオにコメント可能で、受講生の書き出されたコメントをつなげていくことで、理解が促進するという「協働的リフレクション」。

この大学版ニコニコ動画的知識共有ツールは面白いかも。今回のCHATフォーラムも動画におさめて、参加者が好きなところにコメントのこしてBBS的に使ってみるだとか、そういうこともできるだろう。ニコ動の目的は時空間を超えた視聴者どうしの感動共有かもしれないが、白水先生システムはマニアックに徹底理解する目的に向いていると思われます。

こういう道具が授業に入り込んでくると、学生さんは「レクチャでの学びは難しい。けど、レクチャでも学習や理解は可能。」というメタ学習がデザインされるよに思います。道具は教師の授業目的を強く可視化してくれる。実際にこの授業にハマる学生さんは、この授業の目的が何なのか、どういう姿勢で臨むのがよいか、ということを強く意識できたように思います。

大島純先生の「デザインベースドリサーチ」の話題提供にも、学習のコンテクストの構築に注力している点がみてとれました。「科学を学ぶナレッジ」、「コミュニティ管理ナレッジ」といった事柄を追求する「デザインリサーチ」を数年がかりで繰り返す実践コミュニティの話。おそらく大島先生の研究室の話か、それを少し拡大したコミュニティの話なのかと推測しますが、そこでの目的やメタ部分をはっきりと組織化、方法論化することは、新参者にとっても、中にいる人にとっても習得すべき事柄やリフレクションの指針が明確になるんだろうなと思いました。

DEEシンポジウム:主体性のデザイン

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筑波大学で開催された質的心理学会にて「主体性のデザイン」というシンポジウムを行いました。状況的認知、状況的学習論のセッションで、さまざまな現場にグイグイと食い込んでいく30代40代の中堅研究者にご発表いただきました。事故統計、エコツアー、法廷という場におけるリアリティ構築が、たんにナラティブということだけではなく、それぞれの具体性で記述されていることが非常によく分かるシンポジウムになったと思います。

最初に準備運動として発表いただいた青山征彦さんは、「ハイブリッドコレクティブは一夜にしてならず」という心に染み入る言葉とともに〆てくれました。アクターネットワーク論を追い求めつつ好きにはならないツンデレ青山さんらしい観点でした。アクターネットワーク論を用いて分析するときに、ある瞬間のアクターの構成をみるだけではなく、様々なアクターの関与の歴史的蓄積によって今の布置があるという視点、またある瞬間ある人の目から見るからハイブリッドコレクティブだということへの意識。違う布置の絵があるということをきちんと考えておくべきだということが重要だと思いました。参考→「アクターネットワーク理論が可視/不可視にするもの : エージェンシーをめぐって」

続いて藤田悟郎さんに、「事故統計と犯罪統計における主体性のやりとり」というタイトルで発表していただいた。以下の論文「自動車事故予防を目指す実験室研究における困難」がかなりの力作ですが、改めて、主体性というもの、もしくは関心や同盟といったものが、インスクリプションによってみえてくることがよく分かりました。事故統計や犯罪統計というインスクリプションは、調査担当者や管理者(非研究者)、そして外部ユーザー(研究者)といった様々な人々=主体が利用するわけですが、そこで主体性の関心の不一致が原因となって混乱と交渉が生じる。この混乱を乗り越えるための手だても追求されていて、こうした交渉やインスクリプションとセットではじめて主体が見えてくることを強く意識させられました。

小笠原エコツアーの帰路(25時間半!)にエコツアー参加者に無限インタビューを繰り広げる文野洋さんは、インタビュー場面、特に研究者とインタビューに回答する人=エコツアーで何か学習した主体の2者構造を問い直し続けています。温厚な容姿とは異なり、文野さんの主張は「語りを単独で産出する個人、いわば実験データのように取り扱われることが質的研究では多い(けどそれでいいの?)」と強い。研究者はインタビューテクニックで「学習すべき主体」を構築する存在だし、話し手はその役割を引き受けてくれたという存在として見るべしと。そして、インタビュー場面ではインタビューに応じる人と、それを破るエコツアー参加者という人、そういった関係性の移行や反復が生じ続けるのだと。これは、私も含めインタビュイの「自発的な語り」としてみようとしてる研究、または学びは個単独で生じているとする研究への大きな警鐘だと思います。参考→インタビューにおける語りの関係性 : エコツアーの参加観察

最後に高木光太郎さんの発表。高木さんとシンポジウムでご一緒するのは始めてですが、引き込まれました。あんなに「めった刺し」という用語が飛び交う学会発表ははじめて聞きました。法廷や供述調書作成時にどのように犯罪者が作られていくかの話。検察や警察という「事実」の情報を持っていない聞く側が、事実情報を持っている被疑者より偉いというその不均衡。被疑者から証言を引き出す特有の「構築システム」のもと、ある人をうまいこと体験者=被疑者としてつくりあげていく、その体験者=被疑者構築システムの強力さを見事に例証されていて、強い興味を覚えました。

高木光太郎さんの著作はググれば無限にでてくるので、読み直して行きたいと思いました。

今回は「アフタートーク」(=宴会)と称して、筑波大学から徒歩10分の百香亭に行きました。合計20名もの方々にご参加していただき、こちらも大満足の宴会になりました。数年、主体性のデザインというテーマで研究会やシンポジウムを組織できればと思います。

スピノザの心理学

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スピノザと心理学
下記の要領で、スピノザ研究の第一人者である上野修先生(大阪大学大学院教授)の講演と共同討議セッションを開催します。ぜひご参加ください。

また、会場の手配や資料作成の都合上、参加をご希望される方は、
お手数ですが下記の【■お申し込み先】までご連絡くださるようお願いいたします。

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■DEE企画:
セッション「スピノザと心理学」のお知らせ

■企画者:
横浜国立大学 有元典文(DEE主査)
筑波大学 茂呂雄二

■司会:
慶應義塾大学 岡部大介 

■企画概要:
スピノザという17世紀の哲学者の仕事をいまさらとりあげることをいぶかしく思う向きもあるでしょう。スピノザはヴィゴツキーの考え方の血肉となったという意味で、学習と教育を考えるDEE(日本認知科学会教育環境のデザイン分科会)の会員の皆さんにとっては、必読といってよい思想です。
また最近注目されているアクターネットワークセオリーの人=物を対称化するアプローチとの近縁性も指摘され、スピノザを媒介にした状況的認知研究は、今後重要性を増していくと思われます。
今回は、上野修先生をお招きして、スピノザのエッセンスをご教示いただくとともに、こちらからもいくつか話題を提供して共同討議したいと思います。
皆さんの参加をお願いします。なおこのお知らせは回覧自由ですので、関心のある方にご紹介ください。

■日時:
2008年5月10日(土曜日)13時開始~夕刻まで

■講演:
上野修(大阪大学)
題目「スピノザと心理学」

■話題提供:
調整中(確定しましたら再度ご連絡いたします)

■場所:
慶應義塾大学三田キャンパス
(現在会場調整中です:確定しましたら再度ご連絡いたします)
http://www.keio.ac.jp/access.html

■お申し込み先: 
DEE事務局 岡部大介 dokabe[at]sfc.keio.ac.jp
お手数ですが、ご所属とお名前、また「スピノザと心理学」にご参加希望の旨明記してお送りください。

■お問い合わせ先: 
DEE主査 有元典文 arimoto[at]ynu.ac.jp
DEE事務局 岡部大介 dokabe[at]sfc.keio.ac.jp

■上野修先生著作
上野修(2006)スピノザ : 「無神論者」は宗教を肯定できるか 日本放送出版協会
上野修(2005)スピノザの世界 : 神あるいは自然 講談社現代新書
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ISCARプレ企画「情動政治と学習」

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3月15日に筑波大学にて開催されたISCARプレ企画で発表してきました。

■ISCARプレ企画「情動政治と学習」

今回のテーマは、情動政治と学習としました。
学習が成立するまさにそのとき、学習のダイナミズムが動き出そうとするときには、誰かが誰かに付き従うプロセスつまり情動政治のプロセスが伴います。今回は、さまざまな学習の事実を、情動と政治のインターアクションから読み解いてみたいと思います。

日時 3月15日(土曜日) 13時から夕刻まで
場所 筑波大学人間系学系棟B301室

発表予定者 
茂呂雄二:
スピノザとヴィゴツキー:学習の情動政治論序説

香川秀太:
看護の語りにおける情動政治

有元典文・森下覚・尾出由佳: 
Learning to be a "Very Good" Teacher:Artifacts that Change the Activity System of Student Teaching

岡部大介・岡崎ちひろ: 
Learning to be Underground: How Cosplayers gets Cosplay Activity.

ISCAR(International Society for Cultural and Activity Research)日本大会/アジア大会(第1回)において、以下の話題提供を行いました。

日時:2007年9月6日、7日
会場:武蔵工大横浜キャンパス

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企画名:リアリティのデザイン:何かを見て何かを見ないテクノロジー

企画者:
有元典文・横浜国立大学

話題提供:
土倉英志 (首都大)
岡部大介 (慶應義塾大学)
尾出由佳 (東京大学)
紅林裕子 (横浜国立大学)

コメント:
茂呂雄二

「障害/行為可能」、「職人/徒弟」、「素朴な経験/専門家に意味づけられた事態」、「腐女子/婦女子」、こうしたリアリティの異なるバージョンの同時性は、リアリティが観察のテクノロジーによってその都度交渉されるものであることを示している。リアリティとは、見る要素と見ない要素の複雑な文化的パターンである「星座」に例えられるような観察の実践。ある星座を見るためには、同時に、非常に多くの要素を見ないという実践をする必要がある。あるリアリティのバージョンを見て取ることは、数多ある様々の要素の選択と無視の実践に他ならない。リアリティが交渉的であり、それ故、揺るぎなくリアルであることをフィールド調査から示す。
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ISCAR 第1回国際アジア大会「活動、学習、人工物のフィールド研究とデザイン」プログラムのワークショップで発表しました。

■9月6日 10:30-12:40 
セッション6-1A 32A室
 リアリティのデザイン:何かを見て何かを見ないテクノロジー
 企画・司会:有元典文・横浜国立大学
 話題提供:土倉英志 (首都大)
      岡部大介 (慶應義塾大学)
      尾出由佳 (東京大学)
      紅林裕子 (横浜国立大学)
 コメント:茂呂雄二(筑波大)
概要:「障害/行為可能」、「看護師/看護学生」、「職人/徒弟」、「素朴な経験/専門家に意味づけられた事態」、「腐女子/婦女子」、こうしたリアリティの異なるバージョンの同時性は、リアリティが観察のテクノロジーによって、その都度交渉されるものであることを示している。リアリティとは、見る要素と見ない要素の複雑な文化的パターンである「星座」に例えられるような観察の実践。ある星座を見るためには、同時に、非常に多くの要素を見ないという実践をする必要がある。あるリアリティのバージョンを見て取ることは、数多ある様々の要素の選択と無視の実践に他ならない。リアリティが交渉的であり、それ故、揺るぎなくリアルであることをフィールド調査から示す。

サブカルチャーのデザイン

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サブカルチャーのデザイン
認知科学会大会においてDEE企画ワークショップを催します。
今年度はいわゆる「サブカルチャー」の成立を、人工物やネットワークの組織化の観点から具体的に分析した意欲作が報告されます。

日時:9月3日17:30-19:30
場所:成城大学8号館2階821

DEE 企画 「サブカルチャーのデザイン」
企画:
有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)
岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)

話題提供:
澤田浩二(武蔵工業大学環境情報学研究科)
古沢剛・松村飛志・上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)
ソーヤーりえこ(大阪大学留学生センター)
岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)
岡崎ちひろ(横浜国立大学教育学研究科)・有元 典文(横浜国立大学教育人間科学部)

指定討論:
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)
土橋臣吾(武蔵工業大学環境情報学部)

企画趣旨
従来、サブカルチャー研究は、社会学におけるシカゴ学派やカルチュラル・スタディーズによって担われてきた。認知科学の文脈の中では、80 年代後半以降、状況論によって、こうした社会学研究の系譜は受け継がれ、学習研究、ワークプレイス研究、実践のコミュニティ研究として展開されてきた。しかし、現代のサブカルチャーは、web2.0 的なテクノロジーや他の様々な人工物を取り込み、新しいネットワークの様相を見せている。こうした現代のサブカルチャーの中に、テクノロジーを含む今日的な社会組織、知識形態、学習形態を見いだすことが可能である。このワークショップでは、こうした背景をふまえ、サブカルチャーを人工物、テクノロジーを含むハイブリッドな構築物としてとらえ、様々な「サブカルチャーのデザイン」に焦点を当てたフィールド・ワーク研究やテクノロジー・デザインを紹介しながら、社会組織=知識の形成のあり方やテクノロジー・デザインのあり方への新しい観点を探る。

DEE企画「サブカルチャーのデザイン」

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DEE(認知科学会 教育環境のデザイン)では、今年度の認知科学会にて「サブカルチャーのデザイン」という企画を立ち上げました。

企画趣旨:
90年代の状況論のワークプレイス研究によれば、技術的な知識、情報は、組織図では見えないようなインフォーマルなネットワークの中に分散的に組織化されている。しかもインフォーマルなネットワークとは、固定的な分散認知システムというよりは、ネットワークのひろがり、コミュニティの混じり合いの中でダイナミックに変化する。

このようなインフォーマル・ネットワークの典型は、いわゆるサブカルチャーの中に見て取ることができる。さらに現代のサブカルチャーは、web2.0的なテクノロジーを取り込み、新しいネットワークの様相を見せている。よって、こうした現代のサブカルチャーの中に、テクノロジーを含む今日的な社会組織、知識形態、
学習形態を見いだすことが可能である。

以上をふまえて、DEE企画の本ワークショップでは、様々な「サブカルチャーのデザイン」に焦点を当てたフィールドワーク研究やテクノロジー・デザインを紹介しながら、社会組織=知識の形成のあり方やテクノロジー・デザインのあり方への新しい観点を探る。

企画者:有元典文・上野直樹・岡部大介

報告者:
・岡部大介(慶應義塾大学)
「腐女子」のアイデンティティ・ゲーム

・岡崎ちひろ・有元典文(横浜国立大学)
キャバクラにおける関係のデザイン

・澤田浩二・上野直樹(武蔵工業大学)
ライブハウスのネットワーク

・古沢剛・松村飛志・上野直樹(武蔵工業大学)
グラフィティのコミュニティとGoogleMaps

・上野直樹(武蔵工業大学)
wildfire activitiesのエスノグラフィー

指定討論者:
土橋臣吾(武蔵工業大学)

私も話題提供者の一員ですが、話者はみな、何らかのサブカルチャーを対象に、そして自ら参与しながら行ったエスノグラフィを行っている人たちです。「コミュニティを記述しながら実践している人たち」であり、「コミュニティを記述し分析する視点を常に考えている人たち」なので、

開始日時は現在未定です(9月3日か9月5日と大会プログラム委員より連絡あり)。おそらく、2時間半程度の枠だと思われるので、話題提供が20分×5で、残りが議論となると思われます。

会場は成城大学です。

サブカルそれ自体の実践に興味関心のある方々、エスノグラフィを行い、得られたデータをどう分析していくかに興味のある方、またはエスノグラフィのバックグラウンドスタディに関心のある方々、どうぞいらしてください。各話題提供者の発表内容については、まとまり次第ご連絡します。

サブカルチャーのデザイン研究会

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3月5日に「サブカルチャーのデザイン」研究会を行います。
サブカルチャー的な実践、活動、人工物の配置、学習への
のアプローチの手がかりが得られればという趣旨です。

関心ある方はご参加下さい。

日時 2007年3日5日(月)pm 1:00ーpm 5:00
場所 武蔵工業大学環境情報学部(横浜キャンパス)
3号館4階グループワークルーム  

アクセス
http://www.yc.musashi-tech.ac.jp/top/access.html

発表

・岡部大介 ハイブリッドな集合体としての「オタク」
・岡崎ちひろ、有元典文 キャバクラのデザイン
・澤田浩二 ライブハウスのネットワーク
・古沢剛、松村飛志 グラフィティのコミュニティとgoogle map

2006年11月22日, 23日、丸の内にて開催される SFCオープンリサーチフォーラムにて『ケータイのなかのまち』と題し、研究展示・シンポジウムを開催します。

以下、展示・シンポジウム詳細
1.シンポジウム「ケータイのなかのまち」

○ 日時: 2006年11月22日(水) 12時開会/13時半閉会
○ 場所: カンファレンススクウェア M+ 10F ミドル1+2
     千代田区丸の内2-5-2 三菱ビル内
     東京駅丸の内南口より徒歩3分
詳細は … http://www.emplus.jp/access/index.html
○ シンポジウム概要:
 今後更なる発展が予想される携帯電話のロケーションベースサービスとしては、現在、「いまどこサーチ」に代表される「安心・安全」を提供するサービスや、ナビゲーションサービス等「便利」を提供する「ユニバーサルな個人」を対象としたサービスが一定の地位を築いている。また、携帯電話から位置情報付きで情報を投稿するシステムを用いて、地域の防災マップや安全マップを作ろうとする試みも多く見受けられる。しかし、固有の文脈を持ったコミュニティを舞台に、継続的に明確な実践を伴った形で日常的な用途を意図して開発されたサービスは、少ないのが現状である。本シンポジウムでは、そのようなロケーションベースサービスの可能性に着目。NTT DoCoMoの方やフィンランドの研究者の方を交えケータイラボでの地域活性化への応用の試みや位置情報をベースとした「アイテムハント」ゲームの実践を例に、今後のロケーションベースのサービスの方向性・可能性について議論を行う。

○ 登壇者:
話題提供者:
 ・NTT DoCoMo 位置情報サービス 栄藤稔氏
 ・Petteri Repo氏 (フィンランド、National Consumer Research Centre)
 ・稲田依子氏 (フランス Ecole Nationale Superieure des Telecommunications)
モデレーター:
 ・加藤文俊 慶應義塾大学 環境情報学部助教授
 ・岡部大介 同大学 政策・メディア研究科 特別研究教員
 システムデモンストレーション:
 ・天笠邦一 同大学 政策・メディア研究科 後期博士課程、ケータイラボ
○ スポンサー
 株式会社 エヌ・ティ・ティ ドコモ

2.研究展示「ケータイのなかのまち」
○ 日時: 2006年11月22日(水) 11時~19時半
        11月23日(木・祝) 10時~19時
○ 場所: 東京ビル(TOKIA) 1F ガレリア 
     千代田区丸の内2-7-3
     東京駅丸の内南口より徒歩1分
詳細は … http://www.tokia.net/04_access/access.html
○ 展示概要:
今回は、特に上記のシンポジウムでデモンストレーションを行った「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」のコンセプト・概要を中心に展示させて頂く予定です。ケータイを介した実践による、まちの可視化やそのコミュニティ作り・地域活性化への応用について皆様と議論できればと考えております。また、その他にも、モバイルメディアの消費研究やそのマーケティングへの応用等も本ラボラトリの研究員と皆様で議論させて頂ければと考えております。

12月2日(土曜日)に、ISCAR, Japan主催の「ポスト状況論:学習環境と情報デザインへのアプローチ」をテーマにするワークショプが行われます。

http://situatedapproacher.blogspot.com/2006/10/blog-post_25.html

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日時: 
ワークショップ 12月2日(土)午後1時半〜6時半
研究展示 12月2日(土), 12月3日(日)午後1時〜5時

場所: 
ワークショップ 武蔵工業大学環境情報学部 3号館2階32A教室
研究展示 武蔵工業大学環境情報学部 4号館2階カフェ

ワークショップ・プログラム:

司会、コメント
茂呂雄二(筑波大学心理学系)
有元典文(横浜国立大学教育人間科学部)他

企画の趣旨と全体のアウトライン紹介
上野直樹(武蔵工業大学環境情報学部)

話題提供:
土橋臣吾(武蔵工業大学環境情報学部)「集合体としてのユーザー、ヘビーユースというふるまい」
岡部大介(慶應義塾大学政策・メディア研究科)・宮本千尋(横浜国立大学教育人間科学部)
「ハイブリッドな集合体としての「オタク」」

天笠邦一(慶応義塾大学政策・メディア研究科)「カメラ付ケータイを利用したワークショップにおける生活者の主体的『まち』構築の試み」

野々山正章、澤田浩二、斉藤謙介(武蔵工業大学環境情報学部)「多層的な知識、関心を表現するドキュメントのデザイン」

真行寺由郎(武蔵工業大学環境情報学部)「時間のエコロジー〜学生間の情報エコロジーをつなぐツールとしてのスケジューラのデザイン〜」

加藤 浩(NIME / メディア教育開発センター)「協調学習環境における創発的分業のデザイン」

小池星多(武蔵工業大学環境情報学部)「ネットワークとしてのロボットのデザイン」
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カリフォルニアのアーバイン開催のUbicomp2006、workshop: Pervasive Image Capture and Sharing: New Social Practices and Implications for Technologyに参加しました。そのポジションペーパーです。プリクラを取り巻くヴィジュアルシェアリング、アーカイビングに関するエスノグラフィネタです。

The Social Uses of Purikura: Photographing, Modding, Archiving, and Sharing

Ubicomp2006

中京大学で行われた第23回認知科学会で、「DEE企画:フィールドと学習 看護と介護のフィールドから」という、ワークショップを企画/開催しました。

話題提供
◇香川秀太さん(筑波大学人間総合科学研究科)
「理論と実践・学校と臨地の接続」
◇亀井美弥子さん(東京都立大学人文科学研究科)
「看護実習生の体験語りにおけるアイデンティティ~看護師/学生アイデンティティ・コンフリクトに注目して~」
◇佐藤和子さん(神奈川県立よこはま看護専門学校)
「看護学生の「感性の欠如」が見えるとき」
◇尾出 由佳さん(横浜国立大学)
「障害/行為の環境との不可分性-行為達成のための環境デザインとしての介護」

○指定討論者:青山征彦さん(駿河台大学)
公式プログラム http://jcss.gr.jp/meetings/JCSS2006/program.html

DEE
日本認知科学会

「活動とオブジェクト」ワークショップ

6月10日(土曜日)ISCAR, Japan主催の「活動とオブジェクト」をテーマにするワークショプが開催され、司会者として参加しました。

場所 武蔵工業大学環境情報学部 3号館4階グループワーク・

「活動とオブジェクト」ワークショップ・プログラム(予定)
前半:リソースと実践     司会 岡部大介

小池星多(武蔵工業大学)  ネットワークとしてのロボット
柳町智治(北海道大学) インタラクションを支えるマテリアリティ
有元典文(横浜国立大学) 可能なスナップショットの交渉としての現実:焼肉屋の非人間物の再配置 
コメント:青山征彦


後半:文化、活動とオブジェクト、人工物 司会 有元典文
ソーヤー理恵子 異文化の社会-技術的構築
土橋臣吾(野々山正章)メディアの利用と家庭空間の地理学
茂呂 『活動理論におけるオブジェクティビティーの意味:活動概念の拡張と残された問題』 
コメント:上野直樹

DEE 質的心理学会 ISACARJapan 共同開催ワークショップ『バフチンと心理学』
ミハイル・バフチン研究の第一人者、桑野隆先生(早稲田大学教育学部)をお招きして、ワークショップを開催します。
◆日程:2006年4月22日(土曜日) 13時より17時まで
◆場所:筑波大学学校教育局 G501室
   (地下鉄丸の内線、茗荷谷駅から徒歩3分)
    http://www.tsukuba.ac.jp/navi/img/tokyo-campus_b.gif
◆参加費:1000円(上記のいずれかの学会員は無料)
◆申し込み:参加希望の方は、茂呂先生まで、必ずメイル。
      申し込み締め切り4月15日 ymoro@human.tsukuba.ac.jp

ISCAR-Japan 第1回ワークショップ

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ISCAR-Japan 第1回ワークショップに司会として参加しました。

『活動文化研究のアプローチと実践』
日時:05年12月22日
場所:武蔵工大横浜キャンパス3号館4階グループワークルーム

ワークショップ1:状況・活動・社会・文化的アプローチ入門
司会:有元典文(横浜国立大)
佐伯胖(青山学院大)
”コビト”と”ドーナッツ”をつなぐもの─トマセロの「文化学習論」をヒントに─
上野直樹・真行寺由郎(武蔵工業大環境情報学部)
オープンソース的なネットワークの構築を通した学習環境のデザイン
茂呂雄二(筑波大学大学院人間総合科学研究科)
活動理論への招待:能動と受動のエコノミーとしての活動性

ワークショプ2:活動文化研究アプローチの実際
司会:岡部大介(慶応大藤沢キャンパス)
香川秀太(筑波大学人間総合科学研究科)
学校と実践は断絶するのか:看護学校の事例を通した学習と移動に関する再検討
宮本千尋 (横浜国立大学)
コスプレ・コミュニティにみる社会的ネットワークの拡張としての学習
野々山正章 (武蔵工業大学環境情報学部小池情報デザイン研究室)
多層的な知識、関心を表現するドキュメントのデザイン

The Social Life of Mobile Media: An International View

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11月4日に、慶應義塾大学三田キャンパスで講演会The Social Life of Mobile Media: An International Viewが開催されました。オーガナイザーとして参加しました。

The Social Life of Mobile Media: An International View